戸田山和久『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』(NHK出版.2016)レビュー!

た行の著者

概要

始めに

今日は戸田山『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』レビューを書いていきます。

目次(本文より抜粋)

I 恐怖ってそもそも何なのさ?
第1章 恐怖の原型としての「アラコワイキャー体験」
第2章 アラコワイキャーのどれが重要なのか?――「部分の問題」を考える
第3章 これが恐怖のモデルだ!――身体化された評価理論
II ホラーをめぐる3つの「なぜ?」
第4章 まずは「ホラー」を定義しちゃおう
第5章 なぜわれわれはかくも多彩なものを怖がることができるのか?
第6章 なぜわれわれは存在しないとわかっているものを怖がることができるのか?
第7章 なぜわれわれはホラーを楽しめるのか?
III 恐怖の「感じ」って何だろう?――ゾンビといっしょに考える
第8章 哲学的ゾンビをいかに退治するか?
第9章 「意識のハードプロブレム」をいかに解くか?

自然主義哲学の立場からの表象、情動の哲学

 もっぱらプラグマティズム、自然主義哲学の方面における情動、表象についての心の哲学の手軽な入門書になっています。ルース=ミリカンの進化論ベースの自然主義哲学はなかなか手強く、著作も読みづらいですが、戸田山はくだけた調子で平易に解説してくれるため、ミリカンの入門書としても便利です。戸田山の著作は、『哲学入門』もそうでしたが、自然主義の哲学における最良の手引きとなってくれます。

作品論、ジャンル史的なものではない

 この本はホラー作品の作品論、ジャンル史が中心となっているわけではなく、むしろ恐怖という情動、表象に対する受容者の恐怖、それを意図する作り手の戦略、という特徴から、機能主義的なホラーの定義を試みています。ホラーというジャンル、サブジャンルについて考察する糸口を与えてくれていますが、ジャンルの歴史的体系全体についての物差しを提供してくれるわけではないので、そうしたものを求めるのであれば、SF、ホラー、幻想文学の文学史に関する入門書を当たった方がいいでしょう。

ポルノグラフィーやビデオゲーム全般についても類推的に考えられる

 ホラーに対するその意図、表象との読者の関係を中心に据えるホラーの機能主義的定義はまた、ポルノグラフィーやビデオゲームというジャンルについて考えるモデルを提供してくれていると感じます。表象に対して受容者側も、登場人物がそれに感じるのと同じような現実の情動を抱くという構造は共通するためです。

美学の体系的な入門書ではない

 本書は分析美学に関する本ですが、美学の体系的な入門書ではなく、ジャンルや美的経験(を可能とする機能)についてといった限定的な主題について扱うものです。ですので、そうしたニーズには応えてくれないでしょう。

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風間賢二『ホラー小説大全』、:こちらはホラー、幻想文学、SF文学ジャンル全体の小史、テーマの見取り図です。

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