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エチオピアの強さ。イタリア軍は弱かったのか?

政治,国際関係論
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エチオピアの強さ

 まず、19世紀末から20世紀前半にかけてのエチオピアは、多くのアフリカ諸国とは決定的に異なる近代化された軍事国家としての側面を持っていました。メネリク2世が推し進めた外交政策によって、フランスやロシアから供給された最新のライフルや野砲、そして機関銃が組織的に導入されており、単なる原住民の集団ではなく、欧州標準の火力を備えた巨大な常備軍として機能していたのです。そこにエチオピア高原という、平均標高2000メートルを超え、起伏が激しく水源の確保すら困難な天然の要塞が加わります。

 この環境下では、いかに強大な軍事力を誇る英仏であっても、兵站を維持するだけで疲弊するのは自明でありボーア戦争以上の泥沼、あるいはアフガニスタンのような帝国の墓場化していた可能性は極めて高いと言えます。

イタリアの実力

 一方で、イタリア軍が弱いというレッテルを貼られた背景には、個々の兵士の勇猛さの問題ではなく、国家としての成熟度の低さと組織の不備がありました。

 イタリアは統一から間もなく、国民としてのアイデンティティが未成熟で、北部のエリート層と南部の徴集兵の間には深い溝がありました。これが軍の凝縮性の低さに直結し、危機的状況で組織として踏ん張る力を削いでいたのです。また、当時のイタリアは官僚機構が硬直的で、政治家と軍部、さらには前線と司令部の間でのコミュニケーションが壊滅的に欠如していました。1896年のアドワの戦いにおいても、現地の正確な地図すら持たずに、バラバラの部隊が各個撃破されるという、まさに指揮系統の崩壊が敗北の主因でした。

​ イタリア軍の評価を歪めているのは、第二次世界大戦時の英米によるプロパガンダや、戦後のコミカルなステレオタイプの影響が強いのも事実です。実際、イタリアの精鋭部隊や個人レベルの戦士は非常に高い練度と勇気を持っていましたが、それを支えるべき産業基盤や兵器の供給能力、そして何より一貫した戦略の不在が、彼らを敗北者の椅子に座らせてしまいました。投降率の高さについても、国際法に則った絶望的な状況での合理的な降伏という西欧軍事の常識に従ったまでであり、死を美徳とする当時の日独が例外的な精神構造を持っていたに過ぎません。イタリアが抱えていたムラのある実力や個々の資質に依存した戦い方は、新興国が列強の末席に座ろうとした際に生じる過渡期的な病理であり、決してイタリア人そのものが軍事に向いていないという単純な結論で片付けられるものではないのです。

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