PR

ニューケインジアントポストケインジアンの相違。リフレ派は本当に積極財政?

経済学
記事内に広告が含まれています。

コンテンツ

ニューケインズ=積極財政?

リフレ派やニューケインジアンを「積極財政派」と同一視する理解は、理論的にはかなりミスリーディングです。彼らの基本的な立場は、景気安定化とインフレ管理を原則として金融政策によって行うというものであって、財政政策は常に第一選択肢ではありません。むしろ、金利がゼロ下限に張り付いて通常の金融政策の伝達経路が機能不全を起こしているような、例外的で暫定的な局面においてのみ許容される「サブオプション」として位置づけられています。これは、財政政策の効果が理論的にも実証的にも不確実であり、その不確実性を重く見積もる主流派経済学の態度からすれば、むしろ自然な帰結でもあります。

 ニューケインジアンは名前に反して、ケインズ本人やポストケインジアンの問題意識を継承しているというより、新古典派の枠組みに名目的硬直性という限定的な摩擦を付け加えた理論だと理解したほうが実態に近いです。合理的期待は基本前提として維持され、主体は最適化行動を行い、均衡は歪みうるが無効化されるわけではありません。景気変動は制度や金融構造の内在的不安定性から生じるというより、ショックに対する調整過程の問題として捉えられます。その意味で、投資が本質的に不安定であるとか、将来が根源的に不確実であるといったケインズ的直観は、理論の基礎には置かれていません。

ポストケインジアンとニューケインジアン

 この点で、ケインズやポストケインジアンが重視してきた根源的不確実性、合理的期待仮説への懐疑、投資行動の非可逆性と不安定性、金融の伝達経路が制度的に固着しうるという認識、さらには均衡概念そのものへの疑念は、ニューケインジアンの枠組みでは周辺化されるか、せいぜい一時的な摩擦として処理されるにとどまります。したがって、財政政策がマクロ経済を主導すべきだという規範的含意も、理論の内部からは自然には導かれません。

 結果として、ニューケインジアンの政策観は、ルールベースで予測可能な金融政策を中心に据え、財政は金融が機能しない例外局面でのみ補助的に用いる、というかなり抑制的なものになります。日本語圏でしばしば語られる「リフレ派」が積極財政と結びついて語られるのは、現実政治や政策運営の文脈で便宜的に財政を併用する立場が混在しているからであって、理論的なニューケインジアンの帰結そのものではありません。むしろ理論的には、ニューケインジアンは「ケインズ的」というより、「名目硬直性を導入した新古典派」であり、そのケインズ色はかなり薄いものです。

 この意味で、「ケインジアン」というラベル自体がどれほど空洞化し、異なる理論的立場を覆い隠してしまっているかがよく分かります。ニューケインジアンをケインズやポストケインジアンの延長線上に置いて理解するよりも、主流派の合理化された安定化理論として捉えるほうが、政策観や財政に対する消極性を含めて、はるかに整合的に理解できます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました