始めに
『嫌われる勇気』の背景としてアルフレッド=アドラーとは何者かを書いていきます。
またここでは『嫌われる勇気』の文献学的厳密さへの評価は留保します。
内容
アドラーの心理学の位置
アルフレッド=アドラーは欲求階層説のマズローに並んで、ヒューマニスティック心理学の代表的な心理学者と言われています。
これは精神分析、行動主義に代わる第三の潮流として打ち立てられたもので、行動主義や精神分析における決定論、両立論的なモデルに抗い、人間の自由と幸福がどのように達成可能か、いかにしてより善き人生が実現できるかを追求する倫理的な潮流として成立していきました。
アドラーにおけるトラウマによる行動の決定論の否定も、精神分析に顕著な無意識による意識の決定論、両立論に抗って、デカルト的な自由意志を想定してクライアントの主体的な自由に配慮するコンセプトと言えます。
心理学や医療倫理の局面においてこのような視座から実践的な心理学を展開しようとした精神は評価すべきことと思われますが、課題も多く、大抵は素朴な体験からの推論でモデルをデザインしつつも、それへの経験的な根拠の裏付けは乏しく、心理学全体の中では精神分析以上に異端な存在です。
そのような経験的な根拠が乏しい中でマズローの欲求階層モデルが保険体育や組織論の教科書に掲載されている状況は憂慮すべきことであります。
心理学という分野。精神分析の境界
精神分析やヒューマニスティック心理学は心理学の主流派からは受け入れられていませんし、科学的なタームとして残っているのもトラウマとか限定的な概念に留まると思われますが、とはいえ心理学という領域は分野に固有の特徴を持ちます。
たとえば行動主義や消去主義に該当するダニエル=デネットなどは、素朴心理学という日常的な観察から個々人や共同体が形成する心理的な領域に対するモデルに対してそれが観察から構築されたモデルとして一定の合理性をたたえているものと捉え評価しつつ、やがてそれは科学的な語彙の中へ消去、解消されていくという見解を示します。つまり、心理学というのは素朴な直感的から組み立ててそこまで不合理なモデルは出てきにくく、そのようなモデルの生成には何らかの因果が伴っているとみなしています。
このような立場からすれば、精神分析が科学や心理学のメインストリームから受け入れられていないとしても、フロイトやマズロー、アドラーといったその潮流の代表的な論者の言説に気を配ることになんら価値が認められない訳ではないと思われます。
ハイトのポジティブ心理学
また、アドラーやマズローの実践心理学のコンセプトや問題意識を継承しつつ、認知心理学などの主流派の心理学とコミットメントして経験科学としての土台を確立しつつ、より善き人生へのアプローチを考察するポジティブ心理学がジョナサン=ハイトなどによって展開されています。
マズローやアドラーのコンセプトはこのような潮流の中へと解消、消去されていくのかもしれませんが、ここにおいてもアドラーやマズローの言説に気を配ることは一定の合理性を考えられます。
参考文献
・信原 幸弘『心の哲学: 新時代の心の科学をめぐる哲学の問い 』
・サトウ タツヤ 他『流れを読む心理学史―世界と日本の心理学』
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