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ファシズムの定義
ファシズムの扱いについて比較政治学では近年かなり慎重になっており、概念の安易な拡大を避ける傾向が強いです。というのも、用語を広げすぎると権威主義的な現象の束に溶け込み、本来分析上意味のある区別を失ってしまうからです。
実際、学界では初期のBenito MussoliniやNazi Germanyといった運動が、ロジャー=グリフィンが示したような「国家の再生を掲げる超国家主義的政治運動」を核に最もよく当てはまるとは認められているが、これが直ちにあらゆる一党独裁や強権的政権をファシズムと呼ぶ理由にはなりません。たとえば、ホロコーストのような大量虐殺はナチズムの歴史的核心に属する決定的な出来事であるものの学術的にファシズムとは必ずこういう大量絶滅政策を含むべきだと定義するのは、概念の一般性を不当に狭めるか、あるいは逆にファシズムをほぼ何でも指す言葉にしてしまう危険があります。
比較政治の分析枠組み
そのため比較政治学では二つの対応がよく行われる。ひとつは概念の内包を厚くして外延を絞る方向で、ロジャー=グリフィン的な「パリンジェネティックな超国家主義」などを中核的条件としてファシズムを定義するやり方。もうひとつは「権威主義」「自由主義」といったより包摂的なクラスタ概念を維持し、その下で階層化や形容詞付き分類(排外的権威主義、パルチザン・ポピュリズム等)を行うやり方です。これはジョヴァンニ=サルトーリが警告した概念の伸張(concept stretching)への応答とも言え、現代の「ポピュリズム」論争にも似た問題が再現されています。Giovanni Sartoriが危惧した通り、内包が薄くて外延が無限に広がる概念は比較分析にとって害悪になりえます。
ファシズムの外延
また、運動段階と体制段階の区別も重要だ。初期における運動の言説や組織形態(たとえば反既成秩序、革命的リーダーシップ、青年動員、暴力装置の活用など)がファシズムの典型的特徴を示していても、政権成立後に制度化・官僚化・妥協を経ると、その後の姿が当初の運動的特徴を失い、ファシズムとして統一的に特徴づけるのが難しくなります。Benito Mussoliniが社会主義的な出自や場当たり的な思想継ぎ接ぎを示していたことはよく指摘されるものの、これは思想的一貫性が乏しかったからこそ運動としての柔軟性があり、権力掌握のために折衷的な要素を取り込んだという説明につながります。結果として、体制化以降のイタリアやドイツの異なった局面をどう扱うかは、定義論をめぐる中心的な争点になります。
加えて、比較の対象として列挙されるケースEmpire of JapanやAntónio de Oliveira Salazar期のポルトガル、Francisco Francoのスペイン、あるいはSoviet UnionやPeople’s Republic of Chinaのような権威主義・一党支配体制は、共通点もあるものの、イデオロギー的核や運動の起源、階級動員の様相、国家再生を掲げるナラティブの有無などでファシズムの狭義要件を満たさないことが多いです。したがって、比較政治学の実務的な立場では、それらを単なる権威主義として扱い、ファシズムという語は慎重に、主に20世紀前半の西欧特有の文脈に根ざす現象に限定して用いることが多いです。
総じて言えば、概念の運用で重要なのは分析上の利便性と歴史的精度のバランスです。ファシズム概念を拡張してあらゆる強権的現象を説明できるようにしてしまえば比較政治学上の区別力を失うし、逆にあまりに限定的にしすぎれば現在的な類型との比較ができなくなります。現状の先行研究の趨勢は、ロジャー=グリフィン型の中核条件を起点にして類似性のある事例を慎重に検討するか、あるいは幅広い権威主義クラスタを設定して階層的に整理する、そのどちらかの道を取るべきだ、という実務的な結論に落ち着いている、という要旨になります。



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