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行動主義の現在と機能主義との接近。行動主義はこころの中を否定する?

心理学
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方法論としての行動主義

 セラーズ以降の心の哲学では、機能主義と行動主義は対立理論というより、むしろ結合可能で相補的な分析枠組みとして用いられてきたため、「行動主義は心的状態そのものを否定するが、機能主義は心的状態を機能的状態と同一視する」といった教科書的対比は、学説史上のごく限定された局面にしか当てはまらない可能性が高いです。

 実際、スキナーに代表される行動主義も、心的状態の存在論的否定を主張していたというよりは、心的語彙を説明の原語彙に据えず、行動・環境・強化といった観点から分析するという方法論的・分析的立場として提示されていた側面が強いものです。

セラーズ以降の心の哲学と行動主義

 セラーズの与件の神話批判以後、心的内容や意味は所与の内的対象ではなく、行為・応答・規範・推論のネットワークの中で位置づけられるものとして理解されるようになり、この流れの中で行動主義的分析は、心を否定する理論ではなく、規範性や意味論といったソフトな層を扱うための基本的ツールとして再定位されました。

 機能主義も心的状態を因果的・役割的に同定するという最低限のコミットメントを共有する限り、解釈主義、推論主義、計算論、進化論的説明など広範な立場を包摂するデフォルトの前提になっていて、その定義は極端に拡散しています。その結果、今日では機能主義が何であるかよりも、「何ではないか」、すなわち強い表象実在論や与件主義、内的質の原初性といった立場との対比を通じてしか輪郭を与えにくくなっています。キム、デイヴィッドソン、チャーマーズのような非機能主義的立場も、理論的な対抗軸というよりは、機能主義の射程と限界を可視化するための学説史的参照点としての意味合いが強いものです。

 行動主義や行動分析は、心的状態を排除する素朴な還元主義ではなく、意味・規範・解釈といった層を記述するためのベーシックな分析枠組みとして、セラーズ以降の心の哲学に深く組み込まれており、機能主義と鋭く対立するものではなく、その内部で作動する不可欠な方法論の一部として理解するのが自然だと言えます。

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