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サルトルとレヴィ=ストロースの論争と相違点を解説

哲学
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始めに

 サルトルとレヴィ=ストロースの論争と相違点を解説していきます。

コンテンツ

サルトルとレヴィ=ストロースの対立

 サルトルとレヴィ=ストロースは両者の間で交わされた論争で知られるものの、この2人の抽象化のベクトルはそんなに方向性を異にするものでもありません。
 レヴィ=ストロースが主に批判したのは、1.サルトルのマルクス主義哲学の踏まえる実証主義的歴史モデルとしての唯物史観の西洋中心主義批判、2.自由意志のレベルに関する見通し、が中心です。サルトル『弁証法的理性批判』が踏まえるマルクス、マルクス主義における唯物史観はオンタイムの実証的モデルで、それに対する批判がまずあります。

 レヴィ=ストロースの構造主義は、人間が普遍的に持つ原理をもとにして、「未開民族」の共同体にも高度なアルゴリズムを背景に持つ制度、規範といった文化的体系が発展されていることを発見し、唯物史観の西洋偏重の実証モデルに異を唱えました。

レヴィ=ストロースの批判からサルトルを擁護してみる

 次に2の自由意志をめぐる論争ですが、留意しておくべきことはサルトルの場合、そもそもその実存主義はハイデガーから継承する倫理学的特徴を備えるものであるから、自由意志の効用や力が強調されやすく、倫理的理想の前提となる自由意志概念がインフレしやすいのはやややむを得ない文脈があります。

 またサルトルの実存主義も、世界の中でエージェントが相互的役割期待の中におかれていて、それによる秩序、システム、規範のなかで自由が制約を受けうることを言っているほか、唯物史観を前提とするなど、世界のなかのエージェントの行動をなんらかのレベルで決定づける歴史的文脈を想定していて、こうした抽象化の方向性自体はレヴィ=ストロースとそう違えるものでもありません。

両者の思想の異同

 まとめると、サルトルもレヴィ=ストロースも、エージェントが共同体のなかでその歴史、文脈、制度、秩序にあるレベルで行動を決定づけられるという抽象化の方向性は両者に共通するものの、サルトルはマルクス主義の唯物史観を踏まえ、エージェントが置かれる歴史性について、およそ単線的な見通しを考えていたもののレヴィ=ストロースはそうではなく、また倫理学としての性質からサルトルは自由意志の効用や力を過大に見積もったが、レヴィ=ストロースは、サルトルよりも強く、それは共同体のなかの制度、歴史性、秩序などに決定づけられるとみた。

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