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アートワールドと行為論。芸術的な実践とは

芸術,美学
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アートワールドとは

 「アートワールド」という言葉は、美学や芸術哲学で使われる専門用語で、とくにアーサー=ダントーが有名にした概念です。

 アートワールドとは、芸術作品を「芸術」として成り立たせるための社会的・文化的な枠組み全体を指します。それは、芸術家、批評家、学芸員、ギャラリー、観客、美術館、理論、制度などからなるネットワークで、単なる物理的対象を「芸術作品」と認める背景的文脈です。

 ダントーは芸術は外見だけでは区別できず、背後にある理論や制度的コンテクストが必要だと論じました。例として、アンディ=ウォーホルの《ブリロ・ボックス》とスーパーマーケットに並んでいる本物のブリロの箱は、見た目が同じでも「芸術」かどうかはアートワールドの文脈によって決まる、と説明しています。

 同様にジョージ=ディッキーの制度論もこの考えを発展させ、アートワールドに属する人々が「芸術」と認めることによって対象は芸術になる、としました。

 「アートワールド」とは、芸術作品を芸術たらしめるための 社会的・制度的な背景 を意味し、物理的対象だけではなく、その解釈・位置づけ・承認を支える文化的ネットワークを指す概念です。

言語行為論

 イギリスの哲学者 J.L. オースティンは言語行為論を展開しました。

 当時の哲学では「言語=世界を記述するもの」という発想が強かったのですが、オースティンはそれを覆し、言語はただの記述ではなく、行為そのものであると論じました。

 初期の議論ではオースティンは、発話を記述的(constative) なものと遂行的(performative) なものに分けました。記述的発話とは、世界の状態を叙述し、真偽で評価できる発話(「今日は雨が降っている」)です。遂行的発話(performative)とは、発話そのものが何らかの行為を遂行する発話(「約束します」「この船を○○と命名します」)です。ところが分析を進めるうちに、オースティン自身がこの二分法に限界を感じます。なぜなら、記述的発話であっても常に遂行的側面を含んでいるからです。

 つまり、記述と遂行は切り離せず不可分であって、これを受けてオースティンは、記述的/遂行的の対立を放棄し、かわりに locution/illocution/perlocution という「発話の側面の区別」の枠組みに移行していきました。

 そうしてオースティンは「何をしているか」という観点から発話の側面に着目します。

 発話行為は、単に文を発する行為です。発語内行為は、その発話で何をしているかです。発語媒介行為とは、発話がもたらす効果です。

 こうして言語を「世界の鏡」として捉える見方から、「社会的行為としての言語」へと視点を広げました。後に ジョン=サール が発展させ、制度論的事実やコミュニケーション理論にも応用されます。

言語行為とミリカン、アートワールド

 オースティンにとって、言語行為の記述的な側面(真偽にかけられる命題的な性質)と行為遂行的な側面は不可分のものです。ミリカンにとっても同様です。

 ミリカンは表象(representation)は指令的側面(directive)と記述的側面(descriptive)を不可分に含むとします。心的表象「ここに水がある」は、単に「水が存在する」という記述だけでなく、「水を飲みに行ける」という指令的可能性を持つのです。これは、表象の機能的(teleological)役割に基づき、表象は適応的機能として、行動の指針を与える仕組みです。

 オースティンは言語行為レベルで記述と遂行は常に絡み合うのしますが、ミリカンは認知レベルで記述と指令は不可分であり、表象は目的論的にそう設計されているとします。

 目的論とは、ある対象や行為を「その機能・目的・役割」に即して理解する視点です。推論能力としての目的論的思考とは、生物や心的表象を「何のためにあるか」「どういう機能を果たすか」という観点から推論し、それに基づいて柔軟に行動を選択できる能力です。表象「水がある」をただの情報ではなく「飲むために利用可能」という機能的意味を推論できます。毒水かもしれない状況では「飲む」という指令を抑制し、別の目的に応じて判断するのです。

 
 ミリカンのオシツオサレツ表象は記述的側面(is)と指令的側面(ought/行為駆動)が最初から一体となった表象をリッチな認知を持たない動物のコミュニケーションについて提案してています。そこでも表象は世界を写し取るだけでなく、同時に行為に結びつき、世界に作用するもので、その二面性を切り分けて純粋化するのは不可能だけど、人間はリッチな認知があるから、両者が不可分な性質でも、指令的側面を目的論的推論能力から柔軟に応答ができるとしました。

 人間の言語行為のフレキシブルな性質もその目的論的推論能力に由来します。

 言語行為の遂行的側面があるからこそ、批評的発話はアートワールドへのコミットメントになり得るし、それが芸術的実践の基盤になっているから、確かに創作・批評といった創造的営為は基本的に表象による言語行為の遂行的側面を前提とするものだけど、それはもっと合理的、論理的な科学的実践も共通です。

参考文献

・ロバート=ステッカー『分析美学入門』

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