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パーソン論とはなにか。その特徴とシンガーの問題点を簡単に解説

倫理,哲学
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パーソン論とは

 「パーソン論」とは、哲学や倫理学で「人(person)」とは何か、どのような存在を「人」として扱うのかを考察する立場、議論の総称です。

 特に20世紀以降の倫理学・法哲学・宗教哲学などで盛んに論じられています。

 ”すべてのヒト個体が「パーソン」か、それとも「人格」を持つ条件を満たすものだけが「パーソン」なのか”や、”パーソンであることの基準は何か”が、論点となります。

 胎児、新生児、重度認知症患者、植物状態の人、動物、AIなどは「パーソン」といえるのかどうかが、応用倫理で問題になります。

 自己意識や自我意識を持つこと(ジョン・ロック以来の伝統)、合理性や言語能力を持つこと、道徳的責任や権利の担い手になれること、感覚や経験(苦痛や快楽)を持つこと、などがしばしば指標とされます。

 具体的には、ロックは、パーソンとは「時間を超えて同一性を意識する存在」とします。カントは、パーソンは「理性を持つ自律的存在」であり、目的そのものとして扱うべき、とします。

 「パーソン論」は、単なる「生物学的ヒト」と「人格的存在(person)」を区別して考え、後者をどう定義するかをめぐる哲学的探求です。

シンガーのパーソン論とは

 シンガーは自己意識(自己を時間的に持続する存在として理解すること)、自分の未来をもつ存在として欲望や計画を持てること、を「パーソンであるための条件」と考えます。したがって、単に「ヒト種である」ということはパーソンである理由にはなりません。

 具体的には成人の健常な人間はパーソンになります。一部の動物(チンパンジーやイルカなど自己意識を持つ可能性がある動物)は準パーソン/パーソンに近い存在として位置づけられます。胎児や新生児は自己意識を持たないのでパーソンではありません。重度認知症や脳死状態はパーソン性を失っている場合があります。

 なので胎児はパーソンではないため、中絶は必ずしも不道徳ではありません。新生児安楽死も、重篤な障害を持つ新生児が未来に苦痛をもたらすなら、安楽死が許容され得ます。

 動物倫理では、苦痛や快楽を感じる能力を重視し、高等動物も倫理的配慮の対象になりますが、多くの動物はパーソンには当たらないため、条件付きで屠殺や畜産は正当化されます。

 シンガーは種差別を否定し、ヒトであるかどうかではなく、「苦痛・快楽を感じるか」「自己意識を持つか」でパーソンかどうかを決めます。

 またパーソンか非パーソンかの二分法ではなく、段階的、連続的に考える設定です。もっぱら高次の道徳的地位や配慮は、高次の推論、表象能力にともなって与えられます。

シンガーのパーソン論のグラデーション

 明確なパーソンは、健常な成人の人間で、自己意識、未来志向性、計画能力を備えています。もっとも「完全なパーソン」として、生命に最大限の倫理的重みがあります。

 パーソンに近い存在は、高度な認知能力を持つ動物(チンパンジー、イルカ、ゾウなど)です。ある程度の自己意識・社会的認知・記憶・未来志向性があると考えられます。完全な人間のパーソン性には及ばないが、倫理的に強く配慮すべきとします。

 パーソン未満だが倫理的配慮すべき存在として、胎児や新生児、重度障害者や植物状態の人間(パーソン性を喪失している場合)、犬や猫など、多くの哺乳類、鳥類(自己意識は弱いが感受性=苦痛・快楽の経験はある()があります。苦痛を与えるのは不当だが、必ずしも生命維持が最優先ではありません。

 パーソン性をほとんど持たない存在には、発達初期の胎児、植物など神経系を持たない存在などがあります。自己意識、感受性が欠如しているため、倫理的保護は弱いものです。

 連続体モデルとして、パーソンか非パーソンかの「境界線」を明確に引きません。そして能力に応じた重み付けをし、認知能力や自己意識が高いほど生命の価値や殺害の不当性が強くなります。生命の価値は「内在的・絶対的」なものではなく、能力と文脈によって相対的に変動するとします。

その限界とトム=レーガンの批判

 シンガーは「苦痛や快楽の総量」を基準にして、場合によっては非パーソン(新生児・重度障害者など)の生命を犠牲にすることを容認します。トム=レーガンはこれを「計算に基づく犠牲の正当化」であり、個体の内在的な価値を無視していると批判しました。

 レーガンは生の主体という概念を提案します。これは自己意識や合理性の有無に関係なく、”感覚、欲望、記憶、未来への期待””喜びや苦痛を経験する能力””自分にとっての善い/悪いがあること”を持つ存在は、それだけで「内在的価値」を持ち、権利の主体として尊重されるべきだとします。

シンガーの理論的限界

 シンガーの限界について。

 まずパーソンの条件(自己意識・合理性・未来志向など)を基準にするのは、あまりにハードルが高いです。現実の多様な存在(乳児、認知症患者、知的障害者、あるいは動物)の価値を拾いきれません。

 「完全な自己意識や合理性を持つ存在」をパーソンのモデルに据えると、健常な成人が暗黙の規範になります。それに当てはまらない存在は「倫理的地位が二級」になりやすいです。結果として、障害者や新生児を「パーソン未満」と見なしやすくなります。

 シンガーは功利主義者として、「ヒトであるか否か」を基準にしない、つまり 「種差別を超える」 ことを大きな目標にしています。だからこそ、動物の苦痛を真剣に考慮すべきだと主張したのでした。ところがその理論的帰結はそれに背くものです。

 ”パーソン/非パーソン”の区別は、自己意識や未来志向性を基準にするので、結局「成人の健常人」が最も完全なパーソンのモデルになります。乳児や重度障害者は「非パーソン」とされ、倫理的保護が弱まります。よって「人間の中」でも格差が生まれます。

 またシンガーは「種差別は不当」と言いつつ、議論を展開する際には常に「健常な成人の人間」を基準にしています。そのため、「人間の一部が人間以下に落ちる」という結論が出ても、「人間が動物と対等になる」方向には進みにくいです。結果的に、健常な成人の人間がもっとも強く倫理的保護を受ける階層の頂点に据えられています。

 動物も考慮すべきと言いながら、結局は「成人の人間」というモデルを前提に、他を比較・序列化しています。これでは「人間中心主義の別形態(能力主義的人間中心主義)」です。

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