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質的研究を擁護する。分析的帰納法は研究不正?

倫理,哲学
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質的研究とサンプル合理性

 質的研究を「N=5しかない」と馬鹿にする人がいるけど、質的研究は問いを立てて深く検討することが目的なので、1. 研究としての記述の作法が守られているか2. サンプル抽出の手続きが透明で、適切で、妥当かどうか3. 分析の手続きや理論枠組みが明確に示されているか、であって、必ずしもサンプル数の多寡が問題になるわけでもありません。

 ただし「なぜそのサンプル数でよいのか」という説明は必要で、その際にはデータが飽和したかどうか(飽和戦略)、合目的サンプリングの場合には、サンプルの偏りや多様性がどのように研究結果に影響しているか、といった点を、調査・分析の中で再帰的に記述することが求められるものほ、それが先の研究は不十分だから、サンプル数が問題というよりそれが妥当であるための説明が尽くされてないのと、質的研究としての仮説提起の本義に沿った記述に徹することの不適切さは問われる気がします。

 質的研究は差別とか量的に示せない現象の構造や生成プロセスの把握に有効だけど、サンプル数の合理性の説明とか、分析枠組みからデータを解釈し結論を出す局面での合理性、正当性(分析枠組み自体のそれも含めて)が強く問われて、それができないと”自由研究”になるから、量的研究よりハードル高いです。

 量的研究だと、統計理論の理解に加えて、サンプル収集とモデル適用に労力はかかるけど、正当性についての形式的説明・反証可能性による担保はセオリーを守れば安定的。他方で、質的研究だとサンプル設定の合理性を分析枠組みに内在して説明する労力も大きいし、特に解釈プロセスについて批判に脆弱な部分が出てくるから、研究の正当性の担保自体が挑戦的になるから本来凄く大変です。

分析的帰納法と飽和戦略

 分析的帰納法はデータを見た後で仮説を修正するのは量的研究ではHARKing や p-hacking として倫理的に問題になるから、仮に採用するならその正当性を何らかの方法論や理論(たとえば理論生成のための探索的研究としての正当性)にコミットしないと担保できないです。飽和戦略ではあらかじめ「新しいカテゴリが出なくなるまで調べる」と決めているので、事後修正ではありません。

 分析的帰納法はそうなると「発見」のロジックに偏ることになるので、質的研究を量的研究の予備調査に押し込めます。

 分析的帰納法は、仮説を立てて事例を検証し、反例に遭遇すれば仮説を修正するという循環的手続きに基づきます。この点で、データから理論を生成する帰納的プロセスでありながら、同時に反例を通じた理論的精緻化の論理でもあります。しかし、このデータを見た後で仮説を修正するという構造が量的研究の論理である仮説検証型と整合しにくいです。

 量的研究では、HARKing (Hypothesizing After the Results are Known) やp-hacking (データに合わせた統計的操作)は再現可能性と理論的誠実性の観点から倫理的に問題とされます。

 したがって分析的帰納法を適用するなら、探索的研究としての位置づけや、理論生成を目的とする正当化が不可欠になります。

 飽和戦略は事後修正ではなく、あらかじめ「新しいカテゴリや概念が出なくなるまで」という事前に定義された停止条件を設定しています。したがって、分析的帰納法のような「修正の連鎖」とは異なり、あくまで理論の完成度を評価するためのデータ収集上の規準として機能します。

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