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規範倫理とメタ倫理。功利、義務、徳倫理との相性など

倫理,哲学
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功利主義

功利主義において道徳判断は、行為の帰結に基づいて善悪を評価するという意味で、経験的・帰納的認知主義に立脚しています。ベンタムやミルに代表される古典的功利主義では、道徳的真理は理性によって直観的に把握されるものではなく、快と苦という可感的現象を通じて経験的に確証されるものと理解されます。すなわち、「幸福を増進することは善である」という命題は経験的に観察される傾向性に基づき、心理的事実の一般化として妥当します。

 このため、功利主義における真理論は経験的対応説的真理観をとります。行為の価値は外的世界における帰結と対応する形で成立するため、道徳判断の真理性は経験的世界への照合可能性に依拠します。したがって、道徳的命題は検証可能な経験的記述へと還元されうるという意味で、功利主義は道徳的自然主義の典型です。

 他方で、その実在論的地位は強い形而上学的実在論ではなく、準実在論的自然主義に留まりがちです。功利主義者にとって「善」や「正」は独立した形而上の実在ではなく、快苦や幸福という自然的事実の構成的総称です。したがって道徳的真理は世界に独立に存在するものではなく、人間的感受と社会的計算のなかに内在します。

 パーフィットのように価値実在論を再導入しようとする例外もあるものの、それは功利主義の自然主義的基盤を超えた理性主義的再構成であり、純粋功利主義の範疇をやや逸脱します。

 功利主義は、経験的世界のうちに道徳を構成しようとする帰納的・自然主義的実在構成論で、理性や直観による普遍的妥当性よりも、経験的測定と社会的総和の可検証性に価値の根拠を求める傾向があります。

義務論

 義務論、特にカント倫理学は、道徳的判断を経験的帰納や快苦の計算ではなく、理性のアプリオリな法則に基づいて行います。カントにとって道徳法則(定言命法)は、経験に先立つ理性の自己立法として成立し、理性的存在者に普遍的に妥当します。したがって彼の倫理学は明確に認知主義的であるが、その認知の根拠は感覚的経験ではなく、理性の自律的構造に求められます。

 真理論的には、カントはアプリオリ・直観主義的真理観を採用します。すなわち、道徳的真理は経験的対応によってではなく、理性の普遍的形式との一致によって妥当します。定言命法の原理は経験から導出されるものではなく、理性における普遍化可能性(普遍的立法)という形式的要件から演繹されます。したがって、ここでの真理は理性における整合性と自律的理性の普遍妥当性という構造的真理の性格をもちます。

 実在論的には、カントの道徳哲学は強い実在論的構造を帯びます。道徳法則は人間の感覚的世界を超えて理性において必然的に妥当するものであり、それ自体が理性の実在的構成要素です。すなわち、道徳的事実は自然的世界に属さず、理性という超感性的領域に属する実在です。この意味で、カント倫理学は理性内在的実在論です。

 しかし義務論一般が常にこのような形而上学的実在論を伴うわけではありません。たとえば現代の構成主義的義務論(スキャンロンやラルズ的伝統)では、義務の根拠を理性の構造にではなく、相互承認的・社会的構成に求める傾向があり、そこでは道徳的実在は経験的・社会的実在として再構成されえます。したがって義務論は理性主義的実在論と構成的自然主義の双方に開かれた理論形式をもちます。

徳倫理

 徳倫理は功利主義や義務論とは異なり、行為の規則や結果ではなく、行為者の徳性と人間的生の完成に焦点を当てます。アリストテレスにおいて道徳的善は、人間という種のテロス(目的)に即した卓越の実現であり、行為の正しさは普遍的法則によってではなく、状況において適切に判断する実践的知によって導かれます。

 この点で徳倫理は、穏健な認知主義に立ちます。すなわち、「勇気は善である」「誠実は徳である」といった道徳判断は真偽をもちうるものの、それは経験的検証や理性の形式的一致ではなく、人間的生の実践的整合性に基づいて真です。したがって徳倫理の真理論は、実践的・目的論的真理論といえます。真理とは、行為者がよく生きるために現実の中で適切に方向づけられる理解のことであり、命題の外的対応や理性的形式的妥当性を超えた「実践的開示」です。

 実在論の観点では、徳倫理は内在的実在論またはテロス実在論をとります。アリストテレス的伝統において、善や徳は世界に超越的に存在するものではなく、人間という種の自然的秩序の内部に内在します。すなわち、徳は人間の生物学的・社会的構造のなかに目的論的に組み込まれた実在です。現代のフットやハーストハウスらはこの立場を自然主義的に再構成し、人間の「繁栄」や「生の成功」という自然的条件に善の根拠を求めます。これに対し、マッキンタイアのように徳を歴史的・共同体的実践に内在する価値として理解する立場もあります。いずれにせよ、徳倫理は善を理性や快苦の外に超越的に措定せず、実践的文脈に内在する実在的テロスとして理解する点に特徴があります。

 したがって徳倫理は、真理を実践的整合性として、実在を人間的テロスの内に見出す、実践的実在論的認知主義と位置づけられます。功利主義が経験的帰納、義務論が理性の形式的必然性に善を求めるのに対し、徳倫理は「よく生きること」という実践的全体性のうちに善の根拠を求めます。

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