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動物と時間。動物と時間的なパターンの処理

倫理,哲学
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動物の時間

人間という動物を特徴づけるものは、空間的な知覚や手先の器用さよりも、むしろ時間的なパターンの処理能力にあります。多くの動物が空間的認知や運動的学習に優れているのに対し、人間は時間の流れを抽象化し、記号化し、再構成する能力を持ちます。これは単に未来を予測したり過去を記憶するという意味にとどまらず、時間そのものを構造として扱い、言語や音楽、物語といった形で表現する能力です。

 この時間的処理の能力を、他の動物と比較するとより際立ちます。たとえばゾウやクジラ、イルカ、渡り鳥といった種は、運動知性や空間認識において人間を凌駕するものの、それは時間的構造を生きる能力であって、記号化する能力ではありません。彼らの意識の流れは、長大で滑らかな時間スケールにおいて統一されており、いわば時間の中で呼吸するような形で世界を経験しています。

 いずれも運動知性、身体化された知性としての処理能力において際立っています。彼らの知性は、抽象的記号処理よりも、空間・身体・運動の連続的フィードバックの中で世界を捉えることに長けているのです。

人間の時間

 それに対して人間は、時間を切断し、記号の連鎖として再構成することによって、過去と未来を統合する特殊な知的構造を形成します。言い換えれば人間の意識は時間を生きるだけでなく時間を考える存在として成立しています。

 人間の認知システムには、この時間を処理するためのスキーマが深く埋め込まれています。自己同一性の生成、因果的推論、倫理的責任の感覚など、いずれも時間の連続性を前提として構成されています。自己とは、過去の経験と現在の意識と未来の志向を統合する時間的関係の構造体であり、時間がなければ自己は存在し得ません。フッサールが「内的時間意識」を意識の基層に位置づけたように、時間的構造こそが意識の形そのものを規定しています。

 文学はこの時間的構造を再現する最も高度な装置の一つです。たとえば「意識の流れ」文学は、主観的経験の時間的全体性を模倣しようとする試みで、教養小説は、自己同一性が時間の中で生成されていく過程を物語的形式で再現する装置です。そこでは出来事よりも「生成のリズム」が重要視され、物語とはすなわち時間の構造化にほかなりません。つまり文学とは、人間が時間をどのように生き、どう意味づけるかを探る、記号的な時間実験の場です。

 泡坂妻夫の推理小説は、この推論の時間性を物語的に再現する点で特筆に値します。「G線上の鼬」や「歯痛の思い出」などの作品では、推論そのもののプロセス、すなわち推論が時間の中で展開していく運動がテーマ化されています。

記憶と時間

  このような時間的知性の特性は、音楽や記憶のメカニズムにも明確に表れています。たとえば、「太陽が東から昇って西に沈む」という命題的知識を覚えるよりも、「天才バカボンの歌」を通して「太陽が西から昇る」と記憶する方が、符号化の情報量は多いにもかかわらず、再構成は容易です。音楽や韻文は、情報理論的に見れば時間的圧縮アルゴリズムとして機能しており、リズム・音韻・旋律といった時間構造が、意味記憶と手続き記憶を効率的に連携させます。時間的構造をもつデータは、情報量が多くても想起コストが低いのです。ここに、時間的パターン処理の経済性があるのです。

 人間の知性とは時間的パターンの記号化」能力に支えられた知性です。私たちは、時間を生理的に感じ取るだけでなく、それを記号化し、外化し、再構成することによって「自己」や「意味」や「物語」を形成します。一方で動物の知性は、時間を記号化せずに、持続的な生の流れとして直接的に経験するという別の完成形を有しています。

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