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実在論、意味論的な考察
科学一般については、実践的実在論と構造実在論を組み合わせればほとんど説明が尽きるという感覚があって、ボイドのような実践的・適応的な意味での実在論は科学の領域ではうまく機能します。ただ、コーネル実在論のような形でそのまま倫理に敷衍するのは無理があります。
なぜなら、ボイド的な概念進化の成功が倫理語彙には当てはまらないし、道徳的性質を自然種に見立てるのは、制度的・社会的に作動する規範の生成過程からあまりに遠いからです。
だからメタ倫理に関しては、ギバードの自然主義的非認知主義=反実在論に寄せておきつつ、ただし規範の意味論的・実践的レベルでは、デネットの解釈主義やブランダム、マクダウェル的な規範の実在性にコミットしてよい、むしろそのほうが自然に接続すると感じます。
結局のところ、ブランダムやマクダウェルにとっても、道徳的真理・真理値・道徳的事実といったものは必要ありません。ブラックバーンやギバードを含めた広義のクワジ実在論も、結局はフレーゲ=ギーチ問題を受けて非認知主義なのに論理構造をどう確保するかというところから出てきた概念装置であって、マッキーの錯誤論もその迷路を抜け出せずに悲しい帰結に行ってしまったわけだけど、そもそもフレーゲ=ギーチ問題そのものが真理条件意味論を前提にしたローカルなパズルであって、推論的役割意味論(ブランダム)や、実践的・解釈主義的アプローチ(デネット)、また LLM で見られるような統計的意味の立ち上がりを見る限り、規範的言明が命題的構造を持っている必要はありません。というより、意味論そのものが命題的構造をプリミティブにする必要がありません。
今日の意味論から
言語の規範性や論理性は、真理条件に依存するのではなく、使用と推論のネットワーク的な位置づけから立ち上がります。だから”規範的言明が命題的構造をもたないと論理性が崩れる”という批判は最初からナンセンスで、論理性は命題ではなくゲームのルールや役割配置から生まれます。そしてそのうえで、非認知主義のギバードが設定したような計画空間を使ったモデルは、道徳的事実の反実在論的自然主義を維持しながら、推論的整合性や制度的制約をそこにスムーズに持ち込めるので、セラーズ右派(デネット、ミリカン)・左派(ブランダム、マクダウェル)や LLM 的な規範の意味論と相性のいいインターフェイスになります。
LLM の挙動はこのことを象徴的に示していて、LLM は命題的内容を理解していないし、真理条件を持たず、高次元ベクトル空間で局所的な線形変換とスコアリングをしているだけなのに、驚くほど強力な規範的整合性を生み出します。ここには真理は一切なく、あるのは制度的文脈=入力文脈に適合するようにスコアリング関数を更新していくプロセスであり、規範的判断とはその最適化の一形態にすぎないものです。つまり規範とは、世界に対応する真理ではなく、整合性(スコア最適性)から立ち上がる制度的安定性であって、それだけで論理性も理由づけも成立します。
この視点で見ると、実在論・反実在論の線引きそのものが溶けるし、意味論・メタ倫理・AI の学習構造までが一つのフレームで説明できます。つまり規範は真理ではなく整合性であり、意味は命題ではなく使用であり、実在とは構造へのコミットメントです。
LLMという反例
認知主義の柱は真理条件意味論を前提とする1. 道徳判断の客観性(真偽がある)2. 1を前提にする道徳的推論の合理性3.1&2による 道徳的実践の安定性(信念体系として機能する)だけど、全部LLMが反例です。
まだ生成的な一貫した世界モデルによる、複数システム間の協業的因果的推論に弱いから、”LLMが直観的・理性的に道徳的判断をできてない”は言いうるものの、だからといって今後真理条件意味論がAIアーキテクチャに実装されて規範的判断についてのブレイクスルーーが起こって認知主義が救われる可能性は理論的にゼロに近い(それが計算的に実装される形式ではないから)し、むしろ認知科学が進めば人間の認知にもそのようなシステムの余白がないことがより強固に示されることが予想されます。
LLMで、道徳判断は1.信念(命題的態度)でなくてもよい、2.道徳語は真理条件を持たずとも機能する、3.誤りは真理ではなく文脈との不整合で説明できるし、正しさは整合的スコアリングで説明しうる、 4.不一致は意味論的でなくても説明できる、 5.理由の実在は必要でない、ことが示されたから認知主義の相対的優位性はもう何もないといえます。
規範性の拘束力の根拠もエントロピー最小化で説明できます。
構成主義もきつい?
構成主義も、特権視してきた“主体性の厚い層(態度・合理性・実践的視点)”が、LLMで規範性の成立に不可欠とは言えなくなっているから、ヒースやストリートが自然主義の基層の上に置く理性が相対化されます。
また規範的判断のベイズ的推論の側面を内在的に説明しつつ、LLMのそれと人間の認知のそれをアーキテクチャの相違から連続的に捉えて説明するのが無理になります。



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