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クワインのホーリズムとクーンのパラダイム論の比較

倫理,哲学
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クワインのホーリズム

 クワインとクーンの関係は、しばしば「ホーリズムの哲学的展開」として語られるものの、その射程と重心には決定的な差があります。クワインが主として意味論的認識論的レベルでの相対主義にとどまるのに対し、クーンはその発想を科学史的社会的文脈に拡張し、最終的に存在論的真理論的な相対主義へと踏み込みます。両者を比較すると、自然主義の内側に踏みとどまるか、それを越えて構成主義的相対主義に傾くかという点で、決定的な境界が浮かび上がります。

 まずクワインは、『経験主義の二つのドグマ』において、分析命題と総合命題の区別を否定し、意味や理論の確定を個別的ではなく体系的に理解すべきだと主張します。すなわち、どの命題も単独で経験的検証を受けるのではなく、常に「信念の網」の全体の中で相互に支え合いながら、経験と照合されます。これは、観察文さえも理論に依存しており、観察が理論を基礎づけるという従来の経験主義的構図を反転させるものです。したがって、クワインにおける意味や理論の確定は、言語的実践全体のホーリズムにおいてのみ可能となります。この意味でクワインは、言語的翻訳や意味の同定に関しては相対主義者です。

 しかし、クワインの相対主義はあくまで意味論的および認識論的な範囲にとどまります。彼は依然として自然科学の方法を知識の基準とみなし、自然主義的存在論を堅持します。すなわち、科学的実践を通じて世界を理解するという枠組みそのものは疑わず、理論の多元性はその枠内での翻訳や再記述の差異として処理されるのです。

 たとえば『ことばと対象』で展開される「翻訳の不確定性」は、世界に対する複数の言語的写像の可能性を示すものの、それは世界の存在や真理の相対化を意味しないものです。クワインにおいては、自然科学こそが世界に対して最も成功した理論的接近の形態であり、他の信念体系はその周縁に位置づけられます。つまり、クワインは意味論的相対主義者ではあるものの、存在論的相対主義者ではありません。

クーンのパラダイム

 これに対して、クーンはクワイン的ホーリズムを科学共同体の歴史的実践に拡張します。『科学革命の構造』において、科学理論の発展は累積的な真理への接近ではなく、パラダイム転換として理解されます。

 パラダイムとは、科学者共同体が共有する問題設定・観察枠・評価基準・世界観の総体であり、理論と観察、事実と価値、方法と世界像が一体化した包括的構造をなします。クーンによれば、異なるパラダイム間では観察文の意味さえ変化し、同一の「データ」を共有していません。したがって、パラダイム間の関係は翻訳不可能であり、科学的進歩を真理への収束として理解することはできないのです。ニュートン力学の世界とアインシュタインの世界は、単に説明枠が異なるのではなく、存在論的に異なる世界そのものを構成しています。

 ここにおいて、クーンの相対主義は、もはや言語や理論のレベルを越え、真理や存在のレベルにまで及びます。科学理論は世界を記述するだけでなく構成するのです。ゆえに真理はパラダイム内でしか意味をもたず、合理性の基準も各共同体に相対的となります。クワインの自然主義的リアリズムが、科学的世界像を相対的多元性の中の最も成功した体系として擁護するのに対し、クーンはその枠組み自体を歴史的・社会的に相対化します。

クワインとクーンの真理

 また、両者のあいだで重要なのは擬似アプリオリ性の有無です。クワインは極端なホーリズムを採りつつも、信念の網の中心と周縁を区別します。中心には論理や数学などの形式科学があり、経験的反証に最も抵抗する領域とされます。中間には自然科学の理論が、周縁には観察文が位置づけられます。したがって、アプリオリとアポステリオリの区別は消滅するものの、その「修正抵抗度」という度合いにおいて、カント的必然性の概念がスペクトラム的に保存されます。これは真理や確実性を強度の問題として理解し直す構想であり、クワインの自然主義的実在論を支える要となっています。

 一方でクーンは、そのような安定的中心をまったく認めない。論理も観察も理論も、すべてはパラダイムの内部で機能する制度的規範にすぎず、その外部からは何ら特権的な合理性を主張できないものです。クワインが自然科学における合理性を保持するのに対し、クーンはその合理性をもパラダイム相対的なものとして解体します。したがって、彼の相対主義は、知識の構造全体を包括的に捉える構成主義的相対主義となります。

 総括すれば、クワインの相対主義は「翻訳と意味の相対主義」であり、クーンの相対主義は「世界と真理の相対主義」です。クワインは自然科学を中心に据えた自然主義的リアリズムの立場を保ちながら、言語的理論的多元性を認めます。一方、クーンは科学共同体のパラダイムという社会的・歴史的文脈の中で、真理・合理性・世界像そのものを相対化します。両者の違いは、ホーリズムをどこまで押し進めるかという程度の問題に見えて、実際には自然主義の内部にとどまるか、それを越えて存在論的構成主義へと踏み込むかという哲学的境界を画しています。

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