PR

多様性の倫理学。多様性は尊重すべきか

倫理,哲学
記事内に広告が含まれています。

コンテンツ

多様性とはなにか

「多様性」とか、反動的な人の混ぜっ返しにも使われるものになったけど、共同体主義をとるのでもなければ、多様性はそれ自体で善いものというより、自由とか幸福が持つ気を払うべき側面の一つだから、それに注意を払うことは大切だけど、それを直接目指すべきなのではないと思います。

 「多様性は一様に素晴らしくそれ自体で価値があり、あらゆる多様性は等しく尊重される」みたいな主張はもっともらしいけど、小児性愛とかパーソナリティ障害とか、そのような選好、行動志向の積極的自由まで「等しく尊重」するのは不正義になりうるから、おかしい。

 多様性はそれ自体で善いものでなくて、自由とか幸福とか善の特性であって、それを普遍的な正義から、制度的に包摂しようとするのがロールズの正義論やパーフィットの広義の選好功利主義のようなスタンスです。

 ヴィーガンや動物倫理は食文化の多様性と衝突し得ますが、そもそも多様性自体は善でも正義でもないし、動物も含めた主体の選好や価値観の多様性を包括的に評価、調整し、それを包摂する公正な制度を基礎付けるのが動物倫理などの規範倫理なのではないでしょうか。

ロールズの多様性

 ロールズは「合理的多元主義 (reasonable pluralism)」を前提とするものの、”合理的,とは他者の自由や基本的権利を否定しない立場に限られます。したがって他宗教を迫害する宗教観、人種差別や性差別を前提にする価値観、民主的制度そのものを否定する全体主義的思想などを包摂から排除しようとします。

ロールズの論理では、”公共的理性を共有できない立場”=包摂不可能 です。

パーフィットの多様性

 パーフィットは「複数の倫理理論は合理的に精緻化すれば同じ結論に収斂する」と考えます。そのため、” 理由を与えられない立場””他者の理由を無視する立場(極端な利己主義、権力だけに依拠する立場など)””残虐や苦痛を無視する立場”などは包摂されません。

 パーフィットの包摂は「合理的理由の共有」に依存しているので、理由づけを拒否する多様性は議論の対象になりにくいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました