PR

生成文法論と認知言語学の対立。どっちが正しい?チョムスキーは厳しい?

心理学
記事内に広告が含まれています。

コンテンツ

生成文法論

生成文法論と認知言語学は、一見すると互いに対立する理論体系として語られることが多いものの、両者の根底には、言語が生得的認知システムに依拠しているという認識が共有されています。つまり、いずれの立場も言語を単なる社会的慣習や記号の集積としてではなく、人間の認知構造の一部として捉えている点で共通します。ただし両者が決定的に異なるのは、生得的な構造や原理がどの範囲に及ぶか、すなわち言語に固有なものをどこまで認めるかという点です。

 生成文法論は、チョムスキー以来、言語に特有の普遍文法(Universal Grammar=UG)の存在を想定し、それを人間に固有の生得的計算システムとしてモデル化してきました。特に、階層的な統語構造、再帰的操作、文法範疇と機能範疇の区別などは、一般的な認知能力から独立した言語専属性として理解されてきました。

 しかし近年のミニマリスト・プログラム以降、UGに含まれる内容は大幅に縮小され、抽象的操作を除けば、多くの現象は外在的な認知メカニズムである作業記憶・統計的学習・意味的制約などに委ねられています。生成文法は、かつてのような形式主義的独立領域ではなく、言語処理や使用に関わる確率的・相互的モデルとして再構築されつつあります。

認知言語学

 一方、認知言語学は、言語を人間の一般的な認知過程の延長線上に置く立場をとります。言語は世界の知覚・概念化・カテゴリー化の一部であり、比喩、スキーマ化、プロトタイプ効果など、汎用的な認知メカニズムによって形成されるとされます。レイコフやラングカーらは、言語を経験の象徴的体系として描き出し、統語的構造をも意味や使用の派生物として説明しようとしました。しかし、このような強い汎用認知説は、経験的には説明力に限界があります。

 例えば、島効果や、児童が負の証拠を与えられずに正しい統語構造を獲得する現象、あるいは曖昧文の解釈過程における瞬時の選好などは、単なる使用頻度や意味連想だけでは十分に説明できません。

 こうした問題を前に、認知言語学の側も近年では、構文的抽象性や階層的構造を部分的に認める方向へと理論的転換を進めています。トマセロが後期に示したように、使用基盤から出発しても、発達過程の中で一定の抽象構文が形成されるという発達的連続モデルは、生成文法との統合的理解を可能にします。

理論的収束

 こうした動向を背景に、生成文法論と認知言語学の間では、近年、相互的な乗り入れが顕著になっています。生成文法の側では、確率的生成文法やusage-based parameter settingといったアプローチが採用され、普遍文法の範囲を縮小しつつ、使用頻度や処理負荷、習得経路といった外的要因をモデルに組み込み始めています。逆に認知言語学の側では、構文文法やネットワークモデルを通じて、構文スキーマの抽象的階層化を認め、統語的制約を意味論・語用論と統合的に説明しようとする傾向が強まっています。ゴールドバーグの構文文法や、ジャッケンドフのSimpler Syntaxなどは、この折衷的な流れを代表します。

 理論的収束の結果、今日の言語理論は”生成文法vs認知言語学”という二項対立ではなく、言語の生得的計算構造と使用に基づく動的変化を、どのような比率で説明するかという連続的モデルの問題に移行しています。生成文法は、心理言語学的予測や統語的抽象性の説明力において依然として優位を保ち、認知言語学は、意味変化や語用的拡張、構文化のプロセスを扱う通時的モデルとして強みを発揮しています。したがって両者を対立的にではなく、同期的生成モデルと通時的変化モデルの機能分担的補完関係として位置づけることが、現代の言語研究の実態に最も即していると言えます。

 両理論はそれぞれの強みを維持しつつ、近年は「確率的生成文法 × 使用基盤モデル」というハイブリッドな認知的生成理論へと収束しつつあります。

 他方で生成文法ではチョムスキーが依然として固有の理念(とりわけ生得的構文モジュールと創発的生成能力の独立性)を堅持して統計的学習や大規模言語モデル(LLM)の成果に対して明確に対立的な姿勢をとっているから、ガラパゴス化したりもします。

オノマトペ?

 オノマトペは、もともと生成文法論と対立的に位置づけられる形で(“恣意性””任意性”の反証として)認知言語学において重要性が強調されたけど、近年では言語の背後に固有の生得的計算モジュールを想定するモデルについては生成文法論の枠組みを基盤としつつも、学習理論的には認知言語学寄りにマルチモーダルな多感覚統計的学習として確率的分布的に再定式化されてUGが極小化されてきて、理論的に接近しつつあるから、オノマトペを特権的に扱うこと自体の理論的意義はあまりない(身体的音象徴の確立論的再構成、モダリティ連関の相対化による固有の特徴の減衰)です。

 他方、日本語はオノマトペ体系の発達が極めて顕著で語彙や意味体系において音象徴が生産的に機能しているから、日本語研究ではデータ量に依存して、依然としてその重要性が強調される印象です。
 

チョムスキーの硬直化

チョムスキーの生成文法が歴史的に果たした役割は、言語を刺激‐反応や使用頻度の集積としてではなく、内部にある計算的対象として扱った点にありました。構造依存性、階層性、無限性といった性質を、行動主義や単純な統計モデルでは捉えられないものとして打ち出したこと自体は、認知科学の成立に決定的でした。しかしその成功体験があまりに強く、説明の中核をなす「普遍文法」という仮定を、経験的制約に応じて柔軟に組み替えることができなくなった、とも言えます。

 とくにUGが豊かな内容を持つ文法体系として想定された点が問題でしあ。言語間の多様性をパラメータで説明する構想は一見優れていたもののだったけれど、類型論や大規模コーパスが明らかにした多様性は、二値的・少数のスイッチでは到底吸収できません。パラメータの数は理論的に制御不能なほど増殖し、しかもそれがどのように獲得されるのか、どの入力がどのパラメータをトリガーするのかという学習論的説明は、ほぼ空白のままだったため、モデルとしての体裁をなしていませんでした。結果として、UGは制約を与える理論ではなく、事後的に事実を言い換える語彙に近づいてしまったと言えます。

 この閉塞を決定的にしたのが、LLMを含む近年の統計的・表現学習モデルです。注意機構や分散表現を通じて、明示的な文法規則を与えなくても、階層的依存関係や構造的制約がかなりの程度再現できることが示されました。ここで重要なのは、これが人間の言語能力をそのまま再現した、ということではなく、UG的装置が言語的階層性の必要条件ではないことが示された点です。かつてチョムスキーが行動主義を退けたときに使ったそれでは説明にならないという論法が、今度は生成文法自身に向けられるようになりました。

 だからといって言語に固有の何かが存在しない、という話にはなりません。音声や意味一般ではなく、統語的操作に特有の制約や計算的性質があるらしい、という点自体は、神経科学や心理言語学の知見とも整合的です。しかしあらかじめ詳細に構造化された文法システムというよりも、予測処理、作業記憶、系列処理、階層表現を好む学習バイアスといった、より汎用的で漸進的な性質として捉えられる方向に向かっています。つまり、UGがあるとしても、それはルール集ではなく、帰納の傾きや制約の束に近いと思われます。

 現在のチョムスキーの立場は、防衛的にならざるを得ないものです。UGを弱めすぎれば、それはもはや言語に固有の理論ではなく、一般的認知科学や学習理論に吸収されます。強いUGを維持しようとすれば、類型論・コーパス・機械学習・神経科学との齟齬が拡大します。この板挟みの中で、生成文法が内向きに精緻化され、外部との接点を失っていった結果、ガラパゴス化しつつあります。

 言語理論の焦点は、どんな普遍文法が内在しているかから、どんな帰納バイアスと制約の組み合わせが、社会的・歴史的プロセスの中で言語という制度を安定させるかへと移りつつあります。その流れの中では、生成文法は否定されるというより、役割を終えつつあり、その核心部分だけが別の理論枠組みに回収されています。UGは完全に消えるわけではないものの、残るとしてもせいぜい帰納バイアスとなりそうです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました