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言語論的転回と、ソシュール。言語と思考の関連性の解説

倫理,哲学
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言語論的転回

 「言語論的転回」とは、20世紀の哲学や人文科学の大きな潮流を指す言葉です。それまでの哲学が「意識」「存在」「経験」といったものを直接的に問題にしていたのに対し、「言語」という媒介を通じてしかそれらを扱えないのではないか、という方向への転換を意味します。

 まず19世紀末〜20世紀初頭、フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインらの分析哲学で、哲学的問題の多くが「言語の論理構造の誤解」に由来すると考えられるようになったのでした。

 その後20世紀半ば以降、構造主義やポスト構造主義(ソシュール、フーコー、デリダなど)といった大陸系哲学でも、社会や文化、主体そのものを「言語的構造」や「記号体系」として理解しようとする潮流が強まったのでした。

 哲学では論理実証主義から日常言語哲学へと流れ、形而上学や伝統的な「意識の直接的分析」が相対化されました。文学理論や歴史学、文化研究では、テクスト性・言説分析・解釈学が重視されるようになったのでした。

 「言語論的転回」とは 「世界や意識を直接的に扱うのではなく、言語の働きを通して理解する」方向へと学問の重心がシフトしたことを指します。

分析哲学と大陸哲学の傾向的違い

 分析哲学における「言語論的転回」は、哲学的な問題の多くは言語の使い方や論理形式の誤解から生まれている、だからまず言語を分析しよう、という態度です。フレーゲの意味論、ラッセルの記述理論、ウィトゲンシュタインの初期『論理哲学論考』と後期『哲学探究』などです。

 言語を「道具」として把握することに重点があります。

 大陸哲学における「言語論的転回」は、ソシュールなどに始まります。ソシュールは言語は恣意的な記号体系であり、世界の理解はその「差異のネットワーク」によって成り立つとし、言語が思考形式を決定づけるとしました。

 ポスト構造主義のフーコー、デリダなどでも、人間の思考、主体、社会制度そのものが「言語=記号体系」によって構造化されているとします。言語は単なる表現手段ではなく思考や現実の枠組みを強く規定するものとみなされます。

 ラカンは無意識は言語のように構造化されているとしました。フーコーは、知の編成は「言説」によって決まり、主体や真理は言語的編成の産物とします。デリダは、意味は常に差延(différance)によりずれ続け、言語は決して固定された意味を与えないとしました。

サピア・ウォーフの仮説と言語論的転回

 ”言語が思考に影響する”という仮説はサピア・ウォーフの仮説と言われます。このサピア・ウォーフの仮説には強いものと弱いものがあります。

 強いものは言語が思考を「完全に決定」するとします。たとえばある言語に未来時制がないなら、その言語話者は未来を「考えられない」とします。ただこれは経験的にはほぼ否定されていて、人は言語にない概念も理解できるし、翻訳や新語創出も可能です。

 弱いものは、言語は思考や知覚に「影響を与える」ことがあるというものです。ロシア語話者は「青」に対して濃淡を明確に区別するので、色彩識別が英語話者より速いとされます。グアラニ語やクンヤンナ語など、空間を「東西南北」で表す言語話者は、方向感覚に優れるとします。このあたりは実験心理学・認知科学で実証されています。「思考の傾き」や「認知のクセ」に言語が影響しているのは確かに言えます。

 大陸系の「言語論的転回」以降の論者の多くは、「世界の秩序は客観的に独立して存在する」のではなく、言語や記号体系、言説によって構成されるとみる傾向が強いです。

 分析哲学では多くの場合、世界には秩序があり、それを言語や論理で記述するとします。秩序は独立に存在しているとみる傾向があります。

 大陸哲学では、世界に「もともとある秩序」が独立して存在するとは考えず、むしろ 秩序というもの自体が言語的枠組み・記号体系・言説によって立ち上がるとします。

 ソシュールは言語は恣意的な記号体系であるとし、差異のネットワークこそが意味=秩序を生むとします。フーコーは何が「知」や「真理」とされるかは、権力と結びついた言説の枠組みによって決まるとします。デリダは意味は固定的に存在せず、常に差延の運動のなかで生成するとします。

 つまり「秩序」は独立して外部にあるものではなく、言語・記号・言説の運動が生み出す産物だとみるのです。

独立性テーゼと言語論的転回

 大陸系の言語論的転回は独立性テーゼとの関連で特徴づけられます。

『独立性テーゼ』という語は戸田山和久が2005年に導入した定式化で、彼の著作『科学哲学の冒険』で扱われています。 その意味は、「人間の認識活動とは独立して、世界の存在やその秩序があるはずだ」という主張を指します。 戸田山はさらに「知識テーゼ」との組み合わせで立場を四分割(科学的実在論・反実在論・観念論・社会構成主義)する枠組みを提示しました。

 大陸系の「言語論的転回」以降の論者の多くは、「世界の秩序は客観的に独立して存在する」のではなく、言語や記号体系、言説によって構成されるとみる傾向が強いです。

 分析哲学では多くの場合、世界には秩序があり、それを言語や論理で記述するとします。秩序は独立に存在しているとみる傾向があります。

 大陸哲学では、世界に「もともとある秩序」が独立して存在するとは考えず、むしろ 秩序というもの自体が言語的枠組み・記号体系・言説によって立ち上がるとします。

 ソシュールは言語は恣意的な記号体系であるとし、差異のネットワークこそが意味=秩序を生むとします。フーコーは何が「知」や「真理」とされるかは、権力と結びついた言説の枠組みによって決まるとします。デリダは意味は固定的に存在せず、常に差延の運動のなかで生成するとします。

 つまり「秩序」は独立して外部にあるものではなく、言語・記号・言説の運動が生み出す産物だとみるのです。

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