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フッサールの現象学と心の哲学。メタ倫理学

倫理,哲学
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与件の神話

 フッサールの現象学は、意識に与えられるものの自明性に依拠して哲学の基礎を築こうとした体系と理解されがちですが、実際にはそう単純ではありません。

 たしかに初期のフッサールには、意識の与えられの確実性に依拠するかのような姿勢があるものの、後期の彼の議論は一貫して、経験や表象がどのような条件のもとで成立するのかという、成立条件論的な方向へ向かっています。知覚も意味理解も、単なる受動的な与件によって保障されるわけではなく、それらは志向性・時間意識・地平構造といった複雑な機能的・関係的契機の組織化によってはじめて成立します。そういう点で、フッサールの立場は、素朴な与件主義や基礎づけ主義というより、経験を可能にしている構造の働きに注目するカントの超越論的哲学に近いです。

 また、表象が世界との関係の中で働き、機能的適合性によって意味をもつと考えるミリカン的なモデルとも一定の共通性をもつものです。

 フッサールを直接与えられたものの確実性に頼る哲学と理解するのはむしろ誤解で、彼の志向性論は関係的・機能的志向構造の分析です。

言語と思考

 フッサールは、意味を第一次的には言語ではなく志向的経験に帰属させ、言語をその意味の表現や客観化の手段と捉えて、そのために言語以前の経験はすでに有意味に(ただし与件としてではなくて、カント的な構成的現象として)与えられており、現象学的還元によって、それらの意味構造を反省的記述的に把握することが可能であるとします。

 しかし前期から意味論と規範について素朴な内在主義ではなくて外在主義との折衷的スタンスで特に後期はさらにそうなるので、意味の構成的次元で言語の占めるウェイトも増えているし、前期にしても言語を意味の構成に部分的に関与する外在的装置として捉えるかんじです。

本質直観

 この点は「本質直観」の理解についても同様で、本質直観をムーア的な直観主義(つまり価値の非自然的性質に直接アクセスできるという立場)と読み替えるのは適切ではありません。フッサールの本質直観とは、ある対象や経験を自由に変奏し、その変化に耐える不変構造を抽出する方法であり、価値や規範そのものを与件として直観することではないのです。彼が直観しようとするのは、価値がそこにあるという事実ではなく、価値判断や規範的意味が成立するための構造的条件、すなわち意識が世界をどのように意味づけ可能にしているかという条件です。

 したがって、価値を感情的に把握できるとするシェーラーの価値直観論とも距離があります。フッサールは、価値や規則を与件として捉えられると主張したのではなく、価値の成立がいかにして可能になるのかを問う立場に立っていました。

メタ倫理的位相

 こうして見ると、フッサールの価値論・規範論は、メタ倫理の分類でいえば構成主義的認知主義にもっとも近い位置に置くことができます。価値や規範は主観的感情の投影ではなく、意識が世界を意味的に構成する際に生じる固有の秩序であり、その成立条件については認知的なアクセスが可能です。しかし、価値そのものが直観によって即座に与えられるわけではなく、あくまで価値判断を可能にする超越論的枠組みが把握可能だというだけです。

 この立場は、ムーアのような非自然主義的リアリズムとも違うし、価値を感じ取る直観力に依拠するシェーラー的アプリオリズムとも異なります。むしろ、価値や規範は意識の構成的営みの内部で生成される成立の条件的対象であるという見方が近いです。

 フッサールの現象学は、与件主義でも直観主義でもなく、表象や価値や規範が成立するための条件を分析する構成的モデルとして理解するほうが、彼の理論の射程に忠実です。彼は価値や規則がそのまま手に取れる形で直観されるとは決して考えず、むしろそれらがどのような超越論的条件によって可能となるのかを探求していたのであり、この点において、フッサールとムーア的直観主義・シェーラー的価値直観主義との距離は決定的です。

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