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内在主義
20世紀の言語哲学と心の哲学において、「意味はどこにあるのか」という問いは、単なる語義論を超えて、人間の思考と世界との関係そのものをめぐる根源的問題へと発展しました。その核心にあるのが、意味論的内在主義と意味論的外在主義の対立です。
意味論的内在主義は、意味や心的内容は主体の内的状態、すなわち心や脳の状態によって決まるとする立場です。語の意味も信念の内容も、外界とは独立に、主体の表象的状態によって成立するとします。
古典的には、フレーゲの「意義(Sinn)」概念がこの内在的構造を示していました。フレーゲにとって、語の指示(Bedeutung)は外界の対象に向かうが、その媒介となる意義は思考内容として内的に把握されるものでした。20世紀中期以降、この発想はフォーダーの心的言語仮説などに継承され、心的表象の体系によって意味を説明しようとする方向が強まります。
この立場にとって重要なのは、何を考えているかを自分自身が内省的に知ることができるという直観です。もし意味が外界に依存してしまえば、私が自分の思考内容を完全に知ることは不可能になります。内在主義はこうした自己知の確実性を基盤に、心的内容を主体内部に確保しようとするのです。
外在主義とパトナム
この内在主義的直観を根底から覆したのが、ヒラリー=パトナムによる1975年の論文「意味と心理」です。彼の有名な思考実験ツインアースは、意味が主体の内部に還元できないことを示すものです。
パトナムは、地球と全く同じ環境を持つ惑星ツインアースを想定します。そこでは地球の水に似た透明な液体が、実際にはH₂OではなくXYZという化学的に異なる物質で構成されていて、1975年の地球人とツインアース人は、まったく同じ内的状態を持ち、同じように「水」と呼びます。しかし、彼らの「水」という語が指す対象は異なり、地球ではH₂O、ツインアースではXYZです。
この思考実験(とはいえ形而上学的負荷が極端に強いためあまり支持されない)が示すのは、「意味」は主体の内的状態だけでなく、外界の物的構造との因果的関係によっても規定されるということです。パトナムは「意味は頭の中にはない」とし、意味論的外在主義の決定的転換点となります。
バージの外在主義
パトナムが自然的環境との関係を重視したのに対し、タイラー=バージは社会的文脈の役割を強調しました。バージのは、意味が社会的に分有された知識体系に依存することを明らかにしました。
バージは、「関節炎」という語を誤って使う人の事例を提示します。ある人が「関節炎が手の関節にもできる」と誤解しているとします。彼の信念は明らかに誤りですが、それでも彼が「関節炎」という語を使うとき、その意味は個人の頭の中の定義ではなく、社会的共同体における語の正しい使い方によって規定されているとします。したがって、意味は社会的外部構造に部分的に依存しているのです。
この考え方は、ウィトゲンシュタイン的な言語ゲームの系譜にも連なります。語の意味は私的な心の表象ではなく、共同的な使用慣習の中で確立されるもの。バージの議論は、意味論的外在主義の中でも社会的外在主義と呼ばれ、言語の客観的使用と共同体の権威を重視する方向を示します。
内在主義の復権?折衷のこころみ
外在主義の説得力は強かったが、重大な問題が指摘されました。もし意味が外部環境や社会的文脈に依存するなら、自己知はどうなるのか。私は自分の信念内容を直接知っていると思っているものの、もしその内容が外界や他者の慣習によって部分的に規定されるなら、私の内省は誤りえます。
この問題を重視する哲学者は、外在主義が心的内容の主体的把握を破壊する危険を指摘し、内在主義の防衛を試みました。
これに対して、近年の多くの立場は二層的内容説、あるいは狭い意味と広い意味の区別を導入して、両者の折衷を図ります。すなわち、主体の内的状態によって決まる概念的表象的内容を「狭い意味」とし、社会的物理的世界との関係まで含めた指示的内容を「広い意味」とするのです。
「私は水が飲みたい」という発話を例にすれば、内的には「透明で飲める液体を飲みたい」という表象的内容をもち、外的には「H₂Oを飲みたい」という世界指向的内容をもつとします。この二層モデルは、内省的アクセスと客観的指示の両立を目指す試みです。
意味論的外在主義と内在主義の対立は、単なる語義論を超え、人間の思考と世界の接続のあり方をめぐる根源的な問題系を提示しています。外在主義は、主体を世界に開かれた存在として再定位し、言語と環境の因果的社会的ネットワークの中に意味を位置づけます。一方で内在主義は、意味を主体の自己理解や行為の動機づけの基盤として捉え、反省的意識と倫理的自己同一性の側面を守ろうとします。AIや認知科学においても、この対立はなお重要です。外在主義的モデルは環境との相互作用によって意味を構成するエンボディードコグニションや拡張された心の理論に接続し、内在主義的モデルは内部表象による推論や記号処理の精密性を支えます。
したがって、現代の意味論を理解する上では、外在主義と内在主義を単純な二項対立としてではなく、意味の生成を媒介する異なる次元(内的構造と外的参照)の緊張関係として捉えることが求められます。



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