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人間という計算機の固有性と、ミーム論、スペルベルなどの疫学的関心の由縁

倫理,哲学
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人間とチンパンジーの比較

 チンパンジーと人間は、計算機にたとえるとCPUのスペック自体はそれほど変わらないです。

 人間が固有の高度な思考や演算を行えるのは、言語に特化した「計算モジュール」を備えていること、そしてその言語を基盤とする「OS」や「ソフトウェア(認知的プログラム)」の設計が発達していること、言語を通して外部に情報を蓄積しそれにアクセスできる社会的・文化的ネットワークを構築していることに由来する感じです。外的情報ネットワークと言語的モジュールの組み合わせによって、人間は単なる個体の脳容量を超えた認知を実現しているけどハードスペックがチンパンジーより大きく優位にあるわけでもありません。

 人間の脳はチンパンジーとCPUアーキテクチャはほぼ同じで、メモリ(ニューロン数・シナプス数)が増えてネットワークの再配線の仕様に相違があるけど、それだけではハード性能に大きく差がつくものではなくて、プロセッサ刷新ではなく、あくまで同一アーキテクチャ上のスケーリングアップ程度のような感じです。

 人間の場合、汎用CPUと巨大ストレージによってグローバルワークスペースでの意味・予測・シミュレーションに強いけど、その分処理速度が遅かったりワーキングメモリの余裕がなかったりする。
 チンパンジーは超高速GPUで、リアルタイムに環境をスキャンして反応して、短時間に圧倒的な正確さを出せるし今のところ観察された動物の中で短期記憶は最強だけど、長期保存や再構成には向かない。質的に異なる記憶アーキテクチャ。

人間の認知の脆弱性

 人間の知能は外的ネットワークへのオフロードによって拡張された分散的システムで、それは同時に統合管理の脆弱性を内包していて、ミーム論とかもそういう疫学的関心に基づくものよね。

 ドーキンスのミーム論は、文化的単位が遺伝子のように自己複製・選択されるという比喩です。文化的情報が個体の意図を超えて独自の「進化動態」をもつことを示唆しました。

 スペルベルは文化伝達を「表象の疫学」として扱いました。文化とは情報感染システムであり、人間の心はそれに最適化された宿主環境にすぎないとします。認知の社会的分散構造は、人間を「知的ホスト」として利用する仕組みに近いのです。

 現代思想の論者もそれと関わる話題に伝統的に関心が強いです。おそらくはソシュールなどが理論的直感としてあるといえます。

 デリダは「差延」によって意味は常に他の記号に遅れ・依存して生成されるとしました。主体は意味の起源ではなく、記号の連鎖の副産物として立ち現れるのです。認知の外部化がもたらす意味の自律運動は、スペルベルが言う「表象の伝播」やミームと構造的に同じ現象を、意味論的・存在論的レベルで記述しているとも言えます。

 ボードリヤールの「シミュラークル」「ハイパーリアリティ」は、情報ネットワークが現実を模倣ではなく置換してしまう状態です。情報が自律的に循環し、人間の経験がその影響下で再構成されます。記号が人間を使って自らを維持・増殖するというミーム的論理が認められます。

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