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自然主義的誤謬とヒュームの法則について

倫理,哲学
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ムーアの自然主義的誤謬

「自然主義的誤謬」は、本来はムーアの直観主義(認知主義、実在論、非自然主義)における基本的主題のことで、ムーアは自然主義的な事実にも、形而上学的な超越論的存在やその指令にも善は還元されえず直観によってのみ知ることができるというニュアンスです。

 つまりムーアの言う「自然主義的誤謬」っていうのは、善を自然科学的事実のみならず形而上学的存在の指令にも還元することを認めてないから、「自然主義的誤謬」というよりは、「強い認知主義と実在論による善の還元不能説」とでもいうようなもので、原義の「自然主義的誤謬」のバリエーションの一つが自然的事実から直接規範を導出するヒュームの法則を無視した類の推論です。

 ムーアは強い認知主義実在論の直観主義で、善の真理ドメインを措定してそれは自然的事実のみならず、ほかの形而上学的な超越論的存在者にも還元されえない、ということで、一般的な非自然主義よりも強く、還元的な定義を拒んでいます。

 ムーアの直観主義は道徳的真理を不可侵の固有の領域と見て、形而上学的なほかドメインの存在者や経験科学的な真理、宗教的超越論的存在者の存在や指令にも還元的に善や道徳的真理ドメインの真理を定義できず、直観がそのドメインを参照し、規範倫理の正当性の根拠となる、というスタンスですが、形而上学的な負荷がプラトンやキリスト教神学くらい極端で、理論的前提を受け入れると一応実際の実践に説明的ですが、そもそも原理的に検証に開かれてないし、広く道徳的実践に対する構造的で普遍的な説明力は認めにくいです。

自然主義的誤謬よりヒュー厶の法則?

 このように特殊な含意が歴史的にあるから、あまり所謂「自然主義的誤謬」をそう呼びたくなくて、ヒュームの法則から論難するようにしています。

 ムーアのいう、「自然主義的誤謬」は”誤謬”でなくて、あくまでもそういうスタンスからの一主張で、そもそも一般的な自然主義の話でもありません。しかも自然主義的誤謬と絡めて語られやすいヒュームの法則のヒュームは、認識論や形而上学では自然主義だけど、メタ倫理では非認知主義かつ非自然主義の情緒主義に近いという、理解しにくいものになっています。

ヒュームの法則

 ヒュームは、人々が議論の中で「〜である(is)」という事実記述から、いつの間にか「〜すべきである(ought)」という規範的命題を導いてしまうことに気づきました。ヒュー厶はこの飛躍に警鐘を鳴らし、事実を述べる命題と価値や義務を述べる命題とのあいだには直接的な論理的連結はなく、その移行には何らかの追加説明が必要であると指摘しました。

 ここから、「AはBである」という事実から「AはBであるべき」という命題を直接導くことはできないとされます。

 またヒュームは、道徳判断の根拠を理性ではなく人間の感情(sentiment)に見いだしました。このため、後世の立場からはしばしば情緒主義や非認知主義的見解の先駆とみなされます。彼は道徳的性質を自然的事実に還元可能な「客観的存在」とはみなさず、人間の心理に基づく二次的性質として捉えたと理解できます。

 

 

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