コンテンツ
ミルの加害原理とメリット
ミルの自由論における加害原理は、「文明社会の一員に対して、彼の意志に反して権力を行使してよい唯一の目的は、他者への害悪を防ぐことにある」
という原理。つまり、他人に害を与えない限り、個人の行為は最大限自由に保障されるべきとする立場です。
メリットとしては、いくつかあります。
個人の自律尊重ができ、他人に直接的な害を与えない限り、国家や社会が介入すべきでないという自由主義的基盤を与えます。
自由と干渉の明確な境界を与え、功利主義的自由論において「公共の福祉」と比べて明快です。
多様性の保障として、思想やライフスタイルにおける多数派による圧迫から少数者を守れます。
しかし「害」が曖昧すぎます。身体的・経済的な損害だけか、精神的な傷つきや「道徳的腐敗」も含むのか。「害悪」概念の範囲次第で、国家介入の正当化が広がったり縮まったりします。
加害原理の欠陥
しかしデメリットが多いです。
まず「害」が曖昧すぎます。身体的・経済的な損害だけか、精神的な傷つきや「道徳的腐敗」も含むのか。「害悪」概念の範囲次第で、国家介入の正当化が広がったり縮まったりします。
また環境破壊や差別的言動などは、個人レベルでは直接の加害と見えにくいものの、社会的には深刻な害を生みます。こうした「構造的害悪」をどこまで含められるかが難しいです。
また薬物使用、極端な自傷行為などは「自己への害」であって「他者への害」ではありません。しかし社会的コストや家族への間接的影響を考えれば完全に「他者無関係」とも言えません。
またミルは功利主義者ですが、功利主義的計算では「他者への害」より「全体の幸福」を優先する場合があり、加害原理は功利主義と必ずしも整合的ではありません。
つまるところ、功利主義の形式的一般性を、あいまいな指標を設けることで、大きく損なってしまう上、害の定義も曖昧なので、細かいレベルの調節的なメカニズムについてうまく説明できないのです。
ミルの幸福論
ベンサムは快楽と苦痛は量(強度×持続時間×確実性)で測れるとし、数量的な快楽功利主義を唱えました。
ミルは快楽には質的な優劣があるとして、「満足した豚より、不満足なソクラテスのほうがよい」というフレーズが有名ですが、快楽の徳的な質を考えました。
これによって、単なる快楽だけに還元されない価値を功利に包摂しようとします。
幸福論の欠点
しかし「高級な快楽」と「低級な快楽」の区別を誰がどう決めるのかが問題です。ミルは「両方を経験した人の多数決による」と言うものの、これは主観的で、文化的バイアス(教養あるエリートの価値観)が入りやすいです。
また「質的に高いから選ぶべき」という議論は、快楽そのものの快さ・不快さではなく、価値判断の混入に見えます。結果的に「快楽」ではなく「人間の尊厳」や「理性的活動の価値」といった別基準を持ち込んでしまっています。
また多くの人は「高級な快楽(哲学の議論など)」より「低級な快楽(娯楽や飲食)」を選ぶ場合が多いです。ミルは「それは弱さや堕落」とするが、それは人間の実際の幸福を説明するよりも規範的に裁断しています。
量的功利主義は快苦を「加算」するモデルを提供します。質的功利主義は、質の異なる快楽を比較する方法を明示できず、「功利計算」が曖昧になります。
結局、加害原理と同様で、功利主義の強みである形式的一般性が、あいまいな指標の導入によって担保できなくなり、中途半端になっています。
選好功利主義による、ミルの幸福論の克服
有力な候補は選好功利主義です。
選好功利主義は従来の快楽功利主義(ベンサム的な「快苦の量」)ではなく、人々の選好(preference)を満たすことを最大化すべきとする立場です。そこでは「害」の定義も「他人の合理的な選好を侵害すること」と言い換えられます。
ミルの加害原理では他人に「害」を与えるなら自由は制限されうるとします。選好功利主義ではそこで、他人の選好を不当に妨害するなら制限されうるとします。これによって、「害悪」の曖昧さを避けやすいです。例えば、精神的苦痛や差別も「その人の選好を持続的に否定するもの」として説明できます。
メリットは複数あります。
物理的危害から精神的・社会的抑圧まで「選好の侵害」として包括できます。ヘイトスピーチや環境破壊のように「間接的・集団的な害」も捉えやすいです。
快楽ではなく多様な選好を基準にするため、リベラルな社会に適合しやすいです。
ミルも「高級な快楽」など質的区別を持ち込み、単なる快苦計算を超えようとしました。選好功利主義は、その試みをより明確な枠組みで継承していると解釈できます。
幸福を「快楽」ではなく「合理的選好の充足」として捉えるため、「質的区別」を持ち込む必要がなくなり、価値多元性に対応できます。



コメント