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キム
非機能主義は、心的現象を機能的役割や因果的構造だけでは捉えられないと主張する立場ですが、キム、チャーマーズ、デイヴィッドソンという代表的な三者はいずれもそれを一貫した理論として維持することに失敗しています。
キムの場合、彼は物理主義を受け入れつつ、心的性質の自立性を残そうとして反落差や高次性質の枠組みを使いました。しかし物理因果閉包を前提にすると、心的性質が独立に因果力を持つ余地がなくなり、排除問題を避けられません。非還元主義を維持すれば因果力を失い、因果力を救おうとすれば還元主義に押し戻され、彼自身が望む非還元的物理主義構造的に成立しないのです。
この点でキムの非機能主義は、心的の特権性を説明しようとしても、最終的には物理主義の枠組みに吸収されてしまい、理論的統一性を失っています。
チャーマーズ
チャーマーズはハードプロブレムを中心に据え、物理的記述では到達できない第一人称的経験を説明するために、情報的または現象的な基本原理を追加する自然主義的二元論を打ち立てました。しかし彼の心理—物理ブリッジ原理は、経験的検証の基盤を欠き、単なる形而上学的付け足しとして振る舞います。
これでは説明ではなく仮構にとどまり、自然主義の枠組みに収まらないのです。パンプロト現象論的方向に進めば、今度はどこに経験があるのかという区別基準が曖昧になり、心的概念の境界が溶解します。結果として、チャーマーズの非機能主義は、説明的荷重が大きすぎ、心的と物理的の関係を示す理論的枠組みとしての明確さを保持できないのです。
ディヴィッドソン
デイヴィッドソンは非法則的一元論という立場から、心的は物理的事象とトークンレベルでは同一だが、心的語彙が一般法則に乗らない点に独自性があると考えました。しかし、法則性の有無を語用論的なレベルに押し戻すだけでは、心的の自律性を形而上学的に支える根拠が弱いです。心的語彙が物理語彙に還元されない理由も、最終的には記述様式の違いにとどまり、心的現象の存在論的地位を説明していないのです。
物理的因果閉包との整合性も十分に示されず、心的の独自性は記述の便宜としてしか残らないのです。これは非機能主義としての強度を著しく低下させます。
その限界
三者の理論はそれぞれ異なる形で破綻しているものの、共通する問題は、機能主義だけでは捉えられない心的の側面を立てようとすると、自然主義や因果閉包との整合性が崩れ、逆に自然主義を守ろうとすると心的の独自性が消えるというジレンマから脱出できない点にあります。
非機能主義は、心的の特権性を説明しようとしても形而上学的負荷が膨れ上がり、逆に負荷を減らそうとすれば心的語彙の自律性が語用論的次元に退避してします。



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