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ローティの政治思想について。そのリベラリズム

倫理,哲学
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ローティーのリベラリズム

ローティはリベラル左派に分類されながらも、伝統的な反帝国主義的言説には距離を置き、イスラエルなどの西側を本質悪として描く語りにも懐疑的でした。しかし同時に、民族主義や宗教的使命に基づく国家理念にも批判的で、シオニズムのような民族国家的正統性をそのまま肯定することも避けます。

 ローティは国家や社会が何であるかではなく、どれだけ残酷さを減らしうる制度を備えているかという観点で評価するため、イスラエルの評価もその制度的・手続き的な民主主義の機能性に基づく相対的な判断にとどまります。

 したがって、ローティが肯定的に言及するとしても、それはイスラエルが一応の司法の独立や言論空間を維持し、市民社会が政府行為を批判しうる制度的余地を確保してきたという点に関してであり、民族国家としての本質的な正当性には踏み込みにくいです。つまり、ローティにとってイスラエルの価値は、近代民主制の制度的枠組みの維持可能性にこそあり、民族的起源神話や歴史的特権に基づく正統性とは無関係です。

残酷さを減らす道具主義

 同時に、ローティの規範の中心には残酷さを減らすというリベラルな感受性があります。彼は正義論や道徳的普遍原理よりも、具体的な残虐行為の回避や弱者への痛みの感受性を重視します。

 そのため、もし彼が現在の情勢を見ていたなら、ガザでの民間人への甚大な犠牲、生活基盤の破壊、無差別的な攻撃などに対して、イスラエル政府を強く批判したと考えるのが自然です。ただし、その批判はイスラエルは本質的に悪だという形にはならず、制度の潜在的改善可能性に訴える、改革志向の批判として展開されると思われます。

ローティーの左翼批判

 他方で、ローティは左翼内にしばしば見られる反帝国主義的二元論にも慎重でした。西側を無条件に悪とし、対抗する勢力を自動的に正義の担い手とみなす構図を、彼は本質主義的な物語として退けます。この態度から言えば、ハマスを抵抗運動として全面的に擁護する立場にも批判的であるはずです。ハマスの理念が明白な排他性と暴力性を内包していること、市民に対する無差別攻撃を組織原理にしていること、ガザ統治が残酷さを減らす方向に機能してこなかったことなどを踏まえれば、ローティがハマスを擁護する可能性は極めて低いです。むしろ、彼はハマスの暴力を市民社会や制度改革の可能性を破壊するものとして明確に批判したでしょう。

 ローティは「西側=善」でも「西側=悪」でもないという非本質主義の立場を維持しつつ、制度的改革可能性という観点からは依然として西側民主主義に相対的な評価を与える、と考えられます。つまり、彼は西側を本質的に擁護しないものの、残酷さを減らしうる制度的枠組みをより多く保持している社会として、西側諸国の方に希望を見出す傾向を持ち続けるといえます。

もしローティが今日存命であったなら、イスラエルの軍事行動にもハマスの攻撃にも、ともに厳しい批判を向けながら、どちらの本質も語らず、むしろ制度的・歴史的背景の中で残酷さに対する感受性を高める方向へ議論を導こうとするでしょう。そして、左派内部の反帝国主義的二元論にも右派的な文明優越論にも距離を置きつつ、市民社会と制度の改善を通じて残酷さを減らすというリベラルな希望を失わずに語り続けたはずです。

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