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実践的実在論からボイドの構造的実在論へ。HPCとの接続可能性

倫理,哲学
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ハッキングの介入主義

ハッキングやデネット、パトナム後期の実在論は、実践的安定性に基づくプラグマティック実在論として緩やかに括れます。つまり、ある対象や概念が介入・操作あるいは予測という実践的な場面で安定して機能し、我々の行為や装置の中で因果連鎖の一部として扱えるなら、その限りでその対象を実在と見なすことが正当化される、という一般テーゼです。

 実在とは、世界の側の何か本質的なものというよりも、こちらの行為や理論、装置との相互作用の中で安定した役割を果たし続けることによって実在性を獲得していく、そういう意味での”practical realism”といえます。

 ハッキングにとって、電子やクオークのような観察不可能であっても操作可能な存在はまさにそうした実在の典型です。観察できるかどうかではなく、ビームとして生成・制御でき、検出器で安定した反応を示し、予測的に振る舞わせることができるという点こそが実在性の根拠になります。こちらの介入に対して安定に反応することがそこにあることの十分条件になるわけです。

 クオークは単独では決して観測できないものの、高エネルギー衝突で生成されるジェット構造が再現可能で、そのパターンをクオーク模型で操作的に扱える以上、ハッキングの実践的実在論の論理からすればクオークもまたリアルであると解されるのが自然です。実際、ナンシー=カートライトやピックリングらのフォロワーは、ハッキングの対象実在論を理論的存在へと拡張するかたちでクオークの実在性を肯定的に読むのが通例であり、これがいわば標準的な理解でもあります。

 ただしハッキング本人はこの点に慎重で、理論実在論と結びつきうる拡大解釈に自分から踏み込むのを避けています。『表現と介入』でも、クオークへの言及は象徴的に留め、この対象実在論を理論の内部にあるエンティティにどこまで適用するかに関しては曖昧です。しかし、この慎重さは理論的理由というよりも、科学哲学内部でのポジション取りに関わる戦略的な態度の部分が大きいといえます。

デネットのパターン実在論、パトナムの内在的実在論

 デネットについても同様で、彼のパターン実在論は、信念や欲求、あるいは重心などの抽象的存在を、そのパターンが予測を圧縮し、説明において強力に機能する限りで実在とみなす立場です。こちらも、実践的安定性を実在性の根拠とする点でハッキングの介入主義とパラレルに位置づけられます。

 ハッキングが因果的介入の成功を重視するのに対し、デネットは予測の頑健性を重視しますが、いずれも世界と我々の実践的相互作用においてどれだけ安定した役割を果たすかが実在論の中心にあるという意味で同じクラスターに含めるのが自然です。

 パトナム後期の内在的実在論も、実践的調整や言語コミュニティ内部での適切さと成功の積み重ねのなかで対象が構成されるという意味で、これらと非常に親和的で、彼自身が”practical realism”と名のっていたこともあり、この流れの一部として理解されます。

 パトナム後期の実在論は、初期の内在的実在論のように完全な反本質主義には沈まず、しかし古典的な形而上学的本質主義にも戻らず、科学的実践が世界の自然的制約にどこかで必ず縛られているというゆるやかな自然性を残そうとする立場で、この姿勢自体がすでにボイドの HPC の方向へと収斂する下地を持っています。HPC は世界の対象が、ある性質群を因果的メカニズムによって相互に安定化させていることで、その分類が科学的にうまく機能するという考えで、そこには強い形而上学的本質はないものの、分類が恣意的であったり純粋に概念的構築物にすぎないというわけでもなく、実際の世界側の因果構造が、ある程度のrobustness をもって分類の成立条件を支えている、というミドルレベルの実在論があります。

ボイドのHPC

 パトナム後期の”自然的適合性”や”世界側の制約”という語彙はこの homeostasis を言い換えたようなものになり、だから彼の立場は最終的に HPC と同じ方向性に向かいます。

 そして、その HPC のフレームで見ると、デネットのパターン実在論もハッキングの介入主義も、実は HPC が説明している因果的安定構造の異なる側面を強調しているだけに見えます。

 デネット のパターン実在論は、対象が情報的・統計的に安定していて予測可能で圧縮記述が可能だということを実在の指標にするものの、これはhomeostasis の因果的に安定化したクラスタが、観測者に対して持続的な予測可能性を提供するという側面を、情報論的に表現しているにすぎません。つまりデネットがいうパターンとしての実在性は、その背後にある因果的安定性を明示的には語らないだけで、HPC 的読みに自然に吸収されえます。

 同様にハッキングの介入主義では介入や操作可能という能力が実在の証拠になるものの、これは結局、その対象が並外れた再現性と安定性を持つ因果構造を備えているからこそ介入に反応するわけであり、これは homeostasis の操作的な側面に対応します。HPC は、性質クラスタ同士を統合している因果機構が持つ安定性を説明するものの、ハッキングはその安定性を実験室で暴露し扱えるものとして示すだけで、対象が実在するとは、homeostatic な因果的構造が介入の下で破綻しない程度に安定していることだ、と言い換えれば HPC の特殊化に見えます。

 そして、こうしたデネットやハッキングとの整合性を考えると、パトナム後期が近づくのも自然で、彼が言う概念相対性を保ちながら自然的制約を受ける認識というのは、HPC がそっくりそのまま提供する枠組みに対応していて、分類が世界の自然種にどこかで適合していなければ成功しない、という HPC の核と一致します。つまり、三者は、それぞれ情報・介入・認識のレイヤーで“安定した構造”の存在を語っていて、世界が homeostasis をもつことを正面から理論化しているボイドの HPC が、もっとも包括的で、もっとも説明的で、他の立場を無理なく包摂し得ます

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