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メタ倫理における認知主義と非認知主義の違い。

倫理,哲学
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認知主義/非認知主義の相違と実在論/反実在論との関係

 認知主義/非認知主義は、道徳的命題と真理の意味論、存在論(道徳的真理は存在する/しない、道徳的命題の真偽値は実在する/存在しない)的スタンスで、実在論/非実在論は道徳的事実の存在論的スタンス(善や幸福などの道徳的事実は実在する/実在しない)って感じです。

 認知主義/非認知主義を区分する中心的な定義は意味論で、それが真理の存在論に大きく関与する感じ。認知主義のマッキーなどは、意味論的に真偽値を認めつつ真理の存在を否定する典型です。もっぱら、意味論に付随、内在するのが真理の存在論的要素です。

 実在論/非実在論は、真理が成立する場合、その成立基盤(truth-makers)が「態度非依存の道徳的事実」にあるのか、それとも何か依存的なもの(心・社会的慣習・投影など)なのか、そのように真理の存在論に間接的に関わるものです。

 ただ非認知主義反実在論のクワジ実在論が典型的だけど、認知/非認知主義の一義的区分は道徳的命題の真偽値をめぐる意味論だけど、道徳的事実がどのようにあってそれを基盤として、道徳的真理はどのようにあるか、という立場に内在する真理の存在論に本質的に移っている印象も強いです。

認知主義/非認知主義の例

 実在論/反実在論は、もっぱら道徳的事実に係るもので、真理の存在論とは間接的に関わるものです。なので、認知主義/非認知主義は、道徳的命題における意味論的スタンスが本質で、それに内在する論点として真理の存在論がある感じです。

 認知主義 (Cognitivism)は、道徳的命題(「〜すべき」「〜は悪い」など)は真偽値をもち、道徳的真理が存在すると考える立場です。ムーアやパーフィットの直観主義がよく知られ、マッキーの誤謬理論(人々は善悪を事実のように語るが、実際にはそんな事実は存在しないので、道徳判断は全部「誤り」)のような癖の強いものもあります。

 非認知主義 (Non-cognitivism)道徳的命題は真偽値をもたないとする立場です。非認知主義の代表例は、古典的には情緒主義(エモティヴィズム)で、道徳判断は「ブー!」のような感情の表出とします。最近はクワジ実在論のような洗練されたものも多いです。

字面にとらわれるとまずい理由

 認知主義/非認知主義って字面は、非認知主義をエモーティビズムに還元すれば適切だけど、クワジ実在論みたいなのもあるから、そういう区分を含めると不適切で混乱を招きます。

 規範的命題を認識論的判断の対象とみるから認知主義(“Cognitivism”)だけど、形式的に非認知主義に括られるギバードとかブラックバーンとか、道徳的命題を認識論的判断や操作の対象とするし、その認識論的認知的プロセスについて経験科学に接続して精緻にモデル化する場合が多い理解の次元であまり「認知主義/非認知主義」っていう字面に引き摺られないほうがいいとは思います。

 歴史的に有効だった区分で経路依存的にそういう指示になっているけど、現代の洗練された非認知主義と認知主義の対立は、道徳的真理、命題の存在論的特徴づけが中心だと思う直観主義に代表されるように、理論において直観的真理の認識、参照に重きを置くからそう指示されるのでもない感じです。

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