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寛容のパラドックスとは。ポパー、ロールズ、マルクーゼの視座

倫理,哲学
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ポパーの寛容のパラドックスとは

 ポパーは『開かれた社会とその敵』で、寛容には「限界」があると述べました。
“無制限の寛容は、ついには寛容そのものの消滅を招く”、つまり、社会が不寛容な思想や運動を無制限に許すと、彼らが力を持ち、寛容な社会を破壊する危険があります。不寛容な運動を必ず禁止すべきではないものの、議論と理性を拒み、暴力や強制に訴える勢力は、自由社会を守るために抑圧してよいとします。

 ポパーは理性的な実践の成立基盤自体を棄損するようなパフォーマンスに不寛容であれ、といったのであって、ポパーはマルクスやマルクス主義に否定的だけど、そうした規範から不寛容であるべきなのは一部のゲバルトで、”不寛容”な思想を抱く人の自由を制限することは言っていません。

 ミルの危害原理くらいラフで解釈を要請する構成だけど、暴力や扇動を伴うヘイトスピーチに対する否定も、そこから導けます。他方で、解釈に委ねられる境界的な案件が多いです。

ロールズ

 ロールズならポパーと同じくらいのことが言えるし操作的定義や制度的コミットメントの次元でもポパーより理論的にしっかりしています。

 ロールズにとり、公正な社会の枠組みでは「基本的自由」が優先されます。しかし、ロールズも「正義の二原理」に基づいて、不寛容な教義に対しても基本的に寛容を示すべきとしますが、不寛容が他者の自由や社会制度を脅かす場合には、防衛的に制限することが許されます。

 ロールズは「原初状態」や「公共の理性」といった理論的枠組みから、不寛容への対応を制度的、契約的に正当化するのでした。

マルクーゼ

 マルクーゼだと、自由主義国における典型的なヘイトスピーチ規制の基礎づけ以上に、思想そのものや表現へのかなり広範な規制、積極的不寛容を正当化することになります。

 マルクーゼは、リベラル民主主義社会の「寛容」は実際には支配を再生産しており、真の解放を妨げていると批判します。支配的イデオロギーや保守的/反動的意見に対して無制限の寛容を与えることは、結果的に弱者や進歩的な運動を抑圧します。なので反動的言説には不寛容、被抑圧者や解放のための言説には積極的寛容を、という権力関係に根ざした非対称な不寛容を唱えます。

 マルクーゼは解放を妨げる支配的言説への不寛容という急進的な左派ですが、その積極的不寛容自体が抑圧にも開かれています。

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