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<対象>とは
『論考』の〈対象〉はミクロ実在論の論理空間における構造的な形式的バリエーションで、論理形式としての世界が存在するための最小の論理的構成要素がそれで、言語の意味の最小単位(名)の指示先として想定される形式的ミクロ実在だけど、感性的直感において物自体の存在に依存して認識論的には対象のそのままが与えられないのと違って、ウィトの〈対象〉は経験的に立ち現れる個物がそのような不可知な実体的次元をはらむというより、論理空間において言語の論理的構造から必然的に推定されるミクロ実在です。〈対象〉は経験されないけど、不可知ではありません。
〈対象〉は論理空間における構造上の変数であり、具体的に「何」であるかを定義すると指示の無限後退に陥るから、論理形式の限界として前提されるものの、認識論の外側にあるわけではないから超越論的ではなく、あくまで論理形式の記述の基底にあるべきものです。
言語が世界を写像するためには、名が何か(〈対象〉)に対応していなければならないが、その「何か」がさらに説明されるならば、「説明するための言語」自体がまた対象を要請し、無限に続いてしまうため、〈対象〉はその無限後退を停止させる構造上の変数として、言語=世界の対応を保証する論理的必然物として前提され、〈対象〉は、経験的・感性的に与えられるものではないが、同時に不可知な実体(物自体)でもなく、論理形式の安定性のために措定されます。
<対象>の実在性
〈対象〉は物理的ミクロ実在でも、形而上学的ミクロ実在でもなく、論理的空間における構造的ミクロ実在で、物自体のような存在論的な実在性はなくて、あくまで論理形式の基底的条件として構造的に措定される変数。モデル理論のドメインのような、それを定義すると内在的に形式体系の安定性に関わるような領域が〈対象〉です。
ウィトは論理形式としての「世界=事実の総体」の成立条件をメタ的に明らかにする点で超越論的構造だけど、主観の構成作用を前提とする超越論ではなく、論理形式の沈黙的前提による対応の成立条件として提示されるから、カント的枠組みで理解すると〈対象〉とかちょっと混乱するよね。ウィトの言う論理は超越論的ってのも、説明的メタファーで認識論的含意が希薄です。
ウィトの語ってる”世界””事態”も、認識論、経験論的なニュアンスを感じちゃうけど、それも経験的に立ち現れるものとして語ってなくて、論理空間のなかでの構造です。



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